「Hot Hotter Hottest。」
メキシコ西部の太平洋側に連なるビーチ・パラダイス。湿気がスゴくて、昼も夜も、とにかく死にそうに暑かったけれど、やっぱりそこには特別な雰囲気がありました。
なんか、みんな良い具合に力が抜けている感じ。町も、人も、海も、青空も…。
メキシコ西部の太平洋側に連なるビーチ・パラダイス。湿気がスゴくて、昼も夜も、とにかく死にそうに暑かったけれど、やっぱりそこには特別な雰囲気がありました。
なんか、みんな良い具合に力が抜けている感じ。町も、人も、海も、青空も…。
メキシコでもっとも面白い地域のひとつが、サンクリ(サンクリストバルデラスカサス)周辺に広がる『民族村点在エリア』だろう。この辺りはサパティスタによる民族解放運動などでも有名だが、Backpackerにとってみたら、とても過ごしやすく、楽しみの多い場所だと思う。民族村は、いくつも見過ぎると人々の来ているド派手な衣装が“普通”の様に思えてくるけれど、後から見たら…やっぱり、面白い(笑)。
メキシコ南西部に位置するオアハカ州の州都『オアハカ』。ここでの写真は、多分ほとんどがその周辺のもの…だと思います、多分(笑)。
何か、前にBlog用にサイズを加工しておいたのに、結局そのまま忘れ去られていた写真がフォルダの片隅に何枚かあったので、せっかくだから…と、ここで放出(笑)。全てメキシコの写真です。やっぱり、外国で撮った写真には、それぞれの国の空気感がきちんと漂っているもんだなぁ。
Colombia | LATIN AMERICA | OCEANIA
旅人にとっての“桃源郷(fairyland)”とも言われるコロンビア。
Guatemala | LATIN AMERICA | OCEANIA
グァテマラで見た様々な民族衣装と、それを着た人々が暮らす村々の風景。
カリブ海に面していながらも、この国を訪れた人々の心に残る風景というか、イメージは、ほとんどが“山”に関連しているんじゃないかと思う。
キューバの特集をしているうちに、“振り返ること”が何だか面白くなってきて…。
2人を乗せたアルゼンチン航空機は、出発時刻が遅れた以外はすべて順調なフライトスケジュールで太平洋上を西へと飛び続ける。
出発のとき。
フライト予定時刻が夜中のAM2:00(2 / March / 2009)だから、宿のフロントにお願いし
てPM10:00過ぎにTAXIを手配してもらっていたのだが…。
アルゼンチンを発つ日の朝。
フライトが夜中(AM2:00)であることもあり、宿の部屋はチェックアウトせずに、夜まで使わせてもらう事にした。宿泊費は2人で75ペソ(1900円くらい)。
昨日のBar Surでの悲しい出来事が、2人の心の中に”やりきれない思い”を少しづつ作り上げており、最後にはその重み(!?)に耐えられなくなって、2人はいつの間にかその券を購入したTICKET OFFICEの前へとやってきてしまっていた…。
EVITAのお墓の前で。
1919年、アルゼンチンの片田舎で、私生児として生まれた彼女の本当の名は、エバ・ペロン。彼女はその美貌と行動力を武器にして、人生の階段を次々と掛け上っていき、遂にはファーストレディ(大統領夫人)にまで上り詰めることになる。
ブエノスアイレスには、町のあちこちに大小様々な種類の公園が点在していて、それぞれがそれぞれの“個性”を持って人々の心を癒してくれている。
目の前の小さな空間の中で奏でられるArgentina Tangoの魅惑的な響き。
その世界に、いつの間にか2人とも、静かに深く魅きこまれていく…。
Thank God It`s Friday。
Jの体調もようやく本調子に戻り、快気祝いと最後の週末を楽しむ意味を込めて、1週間ぶりにいつもの食堂へと足を運んだ。
1夜明けた、あくる日の朝。
暗く閉ざされた部屋の入口となっている両開きの扉を開け放つと、廊下の壁についた天井まである“スリ硝子”の窓を通して建物の中に入り込んだ柔らかい朝の光が、部屋の中の板敷の床にスッと滑り込んできた。
昨日の夜のこと。
日中からどうにも腹が張るなぁ…と思っていたのだけれど、それが時間を追うごとにひどくなっていき、夕食を食べ終えた後辺りからはもう、横になっていてもとにかく気持ちが悪くてしょうがないという状況になってしまった…。
普通はメシを食べて少し経ったら“膨れた腹”だって落ち着いてくるところが、今日(昨日)に限ってはどうにもそれが落ち付いてこないのだ。バリウムを飲んだ後みたいに、胃の中がパンパンな感じがする。
だからと言ってどうにも仕様がないものだから、とにかくベッドに横になってウ~ウ~唸っていたのだけれど…ちょうど零時を廻ったあたりで、ついに“それ”がきてしまったのである。急いでトイレに駆け込んだあとは、もうとにかく、胃の中に入っていた今日の全ての“おかず”たちを放出し続けるだけ、という状態。
しまいには下の方からもグルグルという音が聞こえだし、どっちをどう処理したらいいのやら、もう大変な修羅場になってしまった!?
完全に「食あたり」の症状だ。それでも、これだけひどいのはモロッコの砂漠で経験して以来だろうか…。あの時はMも一緒にアタったわけだが、今日についてはMは特に何も以上はないらしい。いつもはMの方が食べモノにはアタリやすいのに…まったく、一体何がいけなかったのか。一番怪しいのは、昨日の炎天下の中で食べた“持参のサラミ”であるような気がする。Mはあまりたくさん食べず、ほとんどJが平らげたのだが、切り口が妙にジューシーだったのが、今となっては思い出すだけで気持ち悪くなってくる…!?
夕方近くになってきても、太陽の威力は弱まる気配をまったくみせない。
頭上には雲ひとつなく、絵具を薄くのばしたような真っ青な空が、動物園の緑の大地を包み込むようにして広がっている。
よく晴れた空の下、今日は2人で動物園へ…。
Buenos AiresのPalermo地区から出ている路線バスに乗って郊外にあるその動物園へと移動していくのだが、これがまぁ、たっぷりと2時間くらいはかかることになる。
夕方、涼しくなってきたSan Telmoの町を歩きながら、赤く染まり始めた空を眺めていると何だか切ない気分になる…。
毎週末は、アンティーク三昧。
ここに来た時点からもう、そうやって決めていたから、もちろん今日も、午前中から勇んでご近所(San Telmo地区)をブラブラしてきました。
夜はRestaurant “El Querandi” にて、この街で2度目のTango Dinner。
アンティークマーケットの露店の間では、様々なバンドによる路上演奏会が開かれている。
やはり、Tango Musicを演奏するグループが多く、それぞれ必ず1人~数人のバンドネオン奏者を抱えている。バンドネオンはアンティーク・楽器として売られている事が多いようだが、見た目にもやはりそういう古びたゆえの魅力を感じさせてくれる。
毎週日曜日になると、このあたり(San Telmo地区)ではDorrego広場を中心にして「Antique Fair(骨董品市)」が開催される。
今日もかわらず、町を歩く。
13日の金曜日ということで、2人とも妙に慎重な足取りで散歩してたような気がする(笑)。
Hotelの部屋に荷物を降ろし、お昼過ぎまでベッドで一眠り。
そうしてようやく少し移動の疲れが取れたかなというところで、さっそく久しぶりに帰ってきたBuenos Airesの町を歩き始めた。
AM10:00。2人を乗せたバスはRetiro(Buenos Airesのバスターミナル)に到着した。
Patagoniaを旅している時から「今、Buenosは湿気も高くて、とにかくめちゃくちゃ暑い。」という噂を耳にしていたが、バスを降りて外に出てみると、確かにこれまで過ごしてきた南の土地とは空気の質が違っている様である。
AM9:30、Bariloche(バリロチェ)のバスターミナルを出発。
向かうのは、この長かった南米の旅の最終滞在地となる町「Buenos Aires」だ。
夕方、Colonia Suiza(スイス・コロニー)に到着した。
ここまでの道のりは思っていたよりも随分と長くて、途中、低い木々の間を通る砂利道を歩いていた時などには、あまりの日差しの強烈さに、山を降りる頃には日射病になってるんじゃないかと思ったくらいだった。
目的のRefugio(山小屋)に到着する直前にきて、山が急にひらけたかと思うと、2人の目の前に巨大な山肌が姿を見せた。山肌の奥まった部分には小さな氷河の白色も顔を出し、2人の歩く道の途中にも雪が取り残されたように解け残っている…。
森の中を歩いていた。生い茂った木々の葉の間から、木漏れ日が土の大地に降り注いでいる。町で感じでいた暑さは、この木立の中では少し和らげられているようだ。
湖畔を歩き始めて、2時間以上は経っただろうか…。
道は基本的に“車用”に出来ているから、山道をあるくようには気持よく「トレック」は出来ない。でも、路肩の植えられた木々になる実や、お店で購入した美味しいアイスクリームなどの力もあって、ある程度楽しく散歩してくることが出来た。
Bariloche(バリロチェ)2日目の、午後。
バリロチェは、その正式名称を「San Carlos de Bariloche(サン・カルロス・デ・バリロチェ)という。先日の“Ruta 40バス”の添乗員である「好青年」の話によれば、その昔、この地に最初にやってきた“ドイツ人”の名前がその由来となっているらしい。
Bariloche(バリロチェ)の町に着いた、その翌日の朝。
AM8:00に起きて宿の朝食を食べ終えると、そのままの姿で町歩きへと出かけた。
宿の目の前にある“バス乗り場”の方をロビーの窓から覗いてみたが、2人が乗る予定のバスはまだ到着していないようだ。
宿のダイニングで朝食を食べ、荷物をまとめた状態で午前中はそのまま待機。
ソファーに座って本を読んだり日記をつけたりしながらそのまま“昨日の宿”のロビーで過ごし、昼を廻った頃になってようやく“今日の宿”へと移動した。
Fitz Royでのキャンプを終え、ここから今度は「Ruta 40」という、アルゼンチン版「ルート66」的なHistoric Roadを通って、美しい山と湖に囲まれた町「Bariloche(バリロチェ)」へと向かうのだが…
AM8:00。昨日と同じような時間帯に、同じような“冷たい空気”を感じて目覚めた。
外は、曇りとも晴れともつかないようなちょっと微妙な天気だが、とりあえずFitz Roy(フィッツロイ山)は今日もしっかりとその姿を見せてくれているようだ。
岩場の氷河から戻る道で、午後の予定について考えていた。
天気もすっかり良くなっているし、予定通りにTorre湖の方へと向かう事も可能だろう。
なんだけれど…。
目を覚ましたのは、AM8:00も近くなった頃。
トイレに行くために寝袋から這い出し、テントの外に出てみると、辺りの空気はまだ“朝の冷気”に包まれたままであった。
目の前のそびえ立つ山々の神々しい姿に、「あぁ…。」と声にならないような声を出して、そのままその場に立ちつくしてしまった…。
El Chaltenの町に来て、2日目の朝。
8時のアラームで目を覚ますと、窓の外には真っ青な空が広がっていた。
昨日、氷河トレッキングから帰ってきた途端に、ベッドの上に倒れ込んだまま起き上がれなくなってしまった…。
フェリーに乗って対岸まで移動してくると、降りたその先に山小屋の様な建物が待ち受けていた。
そこが今回のTourの出発基地とでもいうような場所で、ここにきて案内役も“陸上用ガイド”から“氷上トレック専用”のガイドにかわる。
目覚ましの音で起きて、着替えを済ませると宿のキッチンへ。
そこでヨーグルトなんかの簡単な朝食を済ませると、ロビーに移動して、しばし待機だ。
PM1:30過ぎに、バスはカラファテの町に到着した。荷物を受け取り、バスターミナルを出ると、近場の通りにある安宿にチェックイン。
小さなダブルルームに荷物を置いて、何だかんだやりつつ少しそこで休んでから、PM4時頃になってようやく周辺の“町散策”へと出かけた。
Argentina | Chile | LATIN AMERICA
AM7:00に目を覚まし、宿のBig Breakfastを今日もしっかりと頂いたあと、久しぶりに旅の荷物をガッツリと担いでバスの出発場所へと向かった。
プエルトナタレスで過ごす、最後の日。
柔らかいベッドの上で遅い朝に目を覚ますと、宿で出される“豪華な朝食”で十分に腹を満たして、この町での最後のお散歩へと出かけて行った。
宿に戻ると、事前に予約をしていなかった事もあって「ゴメン、今日は満室なんだよ…。」と言われてしまった。そういう事もあるかなとは思ってたけど、キャンプが実際“何泊”になるか分からなかったから…。
それにしても、これから移動か…。何だかダルイし、メンドクサイなぁ。
探すのもまた、億劫だなと思っていたところ、宿の目星はとりあえず向こうの方で付けてくれた。どうやら知り合いの“家”らしく、その一室(個室)を貸してもらえるらしい。
1人7000ペソ(1050円くらい)。それ程高くもなく、WiFiも使える。それより何より、とにかく個室である事が嬉しい。疲れてるから、今日は特に。
迎えに来てくれてた向こうの“宿主”Evelinの後に付いて、重たい荷物を新しい宿まで運んで歩く。久々に“旅の荷物”を担いでみると、キャンプ用の荷物より大分と重たい事に驚かされた。こんなに重たいものいつも持ち歩いてたんだっけ…!??
数ブロック東へと移動し、更に数ブロック南へと移動していったその先、町の少し外れの方に、その宿、というか、家はあった。
中に入ると、ますます本当に“家”という感じ。
家具など、室内の雰囲気が全体に温かくって、何だかとても過ごしやすそうだ。
パイネ国立公園、トレッキング生活最終日。
キャンプサイト「Torres」からの帰り道は、そのほとんどが下り坂だから、ほとんど汗をかくこともなく歩き続けることが出来た。
ひとまず、辿り着いた「Refugio y Campamento Chileno」のロッジの中でお湯をもらってコーヒーを作り、日だまりの中のテーブルに腰かけて一息つく。
今日は本当に天気の良い日だ。
午前中から照り続けている太陽は午後に入ってますますその威力を強め、辺りは「これぞ夏」っていうような素晴らしい陽気に包まれている。
パイネ国立公園、トレッキング生活5日目。
昨日の夜、夕食を食べ終えてテントに入った瞬間にポツポツとではあるが“雨”が降り出してきたのに気が付いた。その後もシトシトと静かに雨は降り続け、早朝、便意を覚えて外に出た時も小雨がパラついているのを確認してはいたのだが…。
Valle del Francesを歩き、キャンプ地に戻ってきた時にはもう動くのが面倒な気もしたのだけれど、2人とも以外とまだ、身体の中に“元気”が残っていたらしい。結局は予定通りに次のキャンプ地へと向かう事にした。
今日は、朝の早い時間帯を除いて常に曇りがちな天気だが、ここまで雨が降る事は一度もなく、風も穏やかで、比較的“安定した”気候具合である。
パイネ国立公園、トレッキング生活4日目。
AM7:00に寝袋から這い出し、いつもと同じようにガスで湯を沸かす。この一連の動きによって、一日の始まりを感じることが出来るうようになってきた。
午後2時、「Refugio Paine Grande」から、「Campamento Italiano」に向けて出発した。
パイネ国立公園、トレッキング生活3日目。
7時に合わせたアラームの音で起きると、そのままテントの中でガスに火をつけ、沸かしたお湯でスープを作った。
パイネ国立公園、トレッキング生活2日目。
朝、凍えるような寒さで目を覚ますと、テントの外では冷たい雨が、森の上の灰色の空からシトシトと落ちてきていた。昨日の夜に降りだした雨が、今まで降り続いていたらしい。
パイネ国立公園、トレッキング生活1日目。
AM6:30にセットしておいたアラーム時計の音で目覚めると、やはり同じように早起きをした宿主が作ってくれた、パンと炒り卵の簡単な朝食を平らげる。
パイネ出発予定日前日。
今日までお世話になった宿を出て、昨日の内に見つけておいた新しいキレイめな宿のドミ部屋に移ってきた。
昨日、Punta ArenasのペンギンTourで知り合ったカナダ人夫&日本人嫁の中年カップルと再会。彼らは既にパイネのトレッキングを終了していて、今回は旅のルートの途中でこの町に立ち寄っただけらしいのだが、話を聞くと、何と14日間もかけて“W”といわれる最もポピュラーなトレッキングルートを巡ってきたらしいのである。
Punta Arenasからバスで北上すること5時間、チリ・パタゴニアの拠点となるもう1つの町Puerto Natales(プエルト・ナタレス)に到着した。
1日フリーで、プンタ・アレナスの町散策。
朝、昨日と同じように宿のダイニングで簡単な朝食を食べ、コーヒーで一息ついた後に昼前ぐらいから町の中心へと歩いて出掛けた。
Punta Arenasの港を出発したフェリーはその後マゼラン海峡を北に向かって2時間ほど進んでいき、船の中の気持ちの良い暖かさと揺れに2人が少し眠気を覚え始めた頃になって、ようやく目的の島へと到着した。
宿代には朝飯が含まれてなかったから、昨日の内に購入しておいたパンとハム、それに卵を使って簡単な朝食を作って食べた。
Argentina | Chile | LATIN AMERICA
AM7:00発のバスに乗り込んで、2人はUshuaiaの町を出発した。
暖かい部屋の心地よいベッドで、少し遅めの朝に目覚めた。
傾斜地に沿うようにして建てられた宿の客室は玄関ホールの階の下階になっているから、部屋の前から続く螺旋状の階段を上って玄関ホールと一続きになったダイニングルームに朝食を食べに行くことになる。
前日にだいたいの起床時間を宿の女主人に伝えてあるから、ダイニングには既にコーヒーカップや皿などが用意されていて、2人が席に着くと同時に暖かい紅茶(M)とコーヒー(J)が運ばれてくるのである。その後、数種類の暖められたパンとジャム類がテーブルの上に並ぶのだが…おっ、今日は昨日とはまた違ったHomemade Jamが並んでいるみたいだ。
聞いてみると、今日のジャムは“アプリコット”であるらしい。2人とも大好きなジャムの種類で、期待以上の美味しさだったから今日もやっぱり朝からガツガツとたくさん食べてしまった。
窓の外を見ると天気はあまり良くない様だけれど、灰色の雲を通して降り注ぐ柔らかい日差しが町や海を包みこんでいて、暖かい室内からみている分には、風景としてとても良い感じ。
食事を美味しく平らげた後には途中から同席したドイツ人カップルとそれぞれの今までの旅路について、あれやこれやと話をしたりして、そんなことをしてたらあっという間にもう、気がついた時にはお昼が近くなってきてる…。
明日1月11日は2人にとって大切な日なのだが、ちょうど日曜日ってこともあって、町のいくつかの素敵な店やレストランは“休業日”ということになってしまっているらしい…。
観光地化されたGlaciar Martialから降りてくると、リフト乗り場のある場所から町まで続く川沿いの山道を歩いて帰ろうということになった。
Ushuaiaに来てから、2度目の宿替え。
朝メシを食べ終えると、昨日から一緒になっていたRoom Mateが寝ている横でコソコソと荷物をまとめ始める。そして、Check Out 時間ギリギリになって何とか家財道具一式をBack Packに入れ終えると、そのままイソイソとYouth Hostelを後にしたのであった。
帰り道。氷河湖を抜けて少し下ると、道の向こうにドッカリと崩れ落ちた大量の岩盤が姿を現した。何だこれは、一体何があったんだ、この場所に…!?
眼前に広がる氷河と湖を眺めながら、湖畔の岩に腰かけて昼食のサンドイッチを頬張る。
サンドイッチはパウロが用意してきたもので、Tour代金に含まれた“ランチボックス”だ。
キッチンに用意されたパンとコーヒーの簡単な朝食を済ませると、宿の前の通りに腰かけて、2人を迎えに来るはずのTour Busを待つ。
すると、予定時刻のAM9:00を10分ほど過ぎた頃に、小さな白いバンが姿を現した。
ウシュアイア2日目。
ドミトリーの部屋を出て廊下の窓から外を見ると、良く晴れた空の青さと朝のやわらかい光が目に入ってきた。
ウシュアイアに到着した日の夕食は、こんな素敵な雰囲気のカフェで食べることになった。
実際この時間帯では安そうなレストランなどなかなか探すこともできなくて、日も徐々に落ちてきていたから適当なところにとりあえず入ってしまったという感じだったが…。
ここは本当に、なかなか良い雰囲気のカフェである。
海辺の通り沿いにあるカフェで、メニューを見るとやはり値段は安くはない。安くはないが、何だか気になるメニューが並んでいて、食欲だけは確実に刺激されてしまった。
お腹があまりにも空いてしまうと、節約しようという意識もいつもより弱くなってしまうのも事実で…結局値段は高いが“気になる”サーモンソースのホームメイドパスタを注文。古道具が並べられた棚の前の木製のテーブルで、2人でそいつを分け合ったのでした。
日本でいうところの“きしめん”の様なそのパスタは、サーモンのクリームソースが非常に良く合う、なかなかのお味。本当は、ここウシュアイアには“さぬきうどん”のようなパスタがあると聞いていてそれを楽しみにしていたのだけれど、これは“さぬき”ではなくどう見ても“きしめん”。
ま、それはそれで美味しいからいいけど。また“さぬき”もどこかで食べられるだろう。
初日からこういうものが食べられると、何だかちょっと気分がよいです。
ドミのベッドですら値段が高いのにはちょっとうんざりだけど、明日からがまた楽しみである。ついに、世界の“南の果て”までやって来たんだなぁ…。
今日はバスの通る経路の関係で4度も出入国スタンプを押してもらう機会があったのだが、その内の最後の一回、アルゼンチンの入国スタンプがどうにも納得いかない!?
昨日の夕方にコモドロリバダビアを出発したバスは、1夜明けた今日の早朝になってRio Gallegos(リオ・ガジェゴス)に到着した。
そして、バスを降りて外に出ると、今までにないような冷たい空気が服の間から入り込んでくる…。
コモドロで過ごす最後の午後。
夕方6:00にはウシュアイア行きのバスに乗る予定だから、時間的にも遠くに行くにはまぁ中途半間なので、結局今日1日はコモドロの町周辺を巡る事にした。
化石の森。そう呼ばれる場所に行くというのが、この町(Comodoro Rivadabvia)に来たただ唯一の目的である。
お昼前になって、バスはコモドロリバダビアのバスターミナルに到着した。
空は真っ青に晴れ渡り、歩いてみると気温も思った程低くはなく、あまり寒さは感じない。
新しい年を迎えた最初の朝、2人が目を覚ました時には、既に太陽がかなり高くまで上がってしまっていた。昨日の夜が遅かったこともあり、すっかり寝坊をしてしまったようだ。
12月31日の朝。窓から差し込んできた朝の光に気が付いて、思いの他すんなりと心地よいベッドの上から起き上がった。
いつもと変わらないように思えて、それでもいつもとは違う意味をもった1日。
そのほどんどの時間を「旅」に費やして生活してきた1年間が、いよいよ終わりを迎えようとしているのである。
去年の年末は日本に帰っていたから、旅の中で年を越すのはこれが初めて。
アフリカとか、インドとか、どこかそういう場所で過ごすのかもしれないという予感も再出発時(2008年3月時点)には抱いていたのだが、結局は南米すら出る事ができずにこの日を迎える事になってしまった(笑)。
アルゼンチン、ブエノスアイレスの快適な安宿の小部屋の片隅で、これまで通り過ぎてきた数々の国や場所、その旅路についてのあれこれを振り返ってみる。
すると、頭の中に蘇ってくるのは楽しくて素敵な思い出ばかりで、辛いことなんて全くなかったんじゃないかと思えてきてしまうのである。
実際、「危険」を感じたりとか大事な失くしものをすることもなく、順調にここまで旅して来れた事を思うと、2人の旅路は常にとても“素敵”であったと言えるだろう。
そして、だからこそって事もあるとは思うけど、どの国も本当に快適で過ごしやすく、そこに住む人々はいつでも2人に対して親切であった。
今日もやっぱり、夕方時はビーチで過ごしてきた。
よくもまぁ、同じリズムの生活を3日間続けたもんだなとは自分たちでも思うけれど、心地が良いから別にそれを変える必要性も感じなかったのである。
コロニア滞在3日目。
本当は3泊4日のウルグアイ滞在の中で首都:モンテビデオにも行こうと思っていたりもしたのだが、結局のんびりだらだらしている内にここに留まる気持ちになってしまった。
コロニアの街を歩いていると、至る所にキレイな花が咲き乱れていて、それを見つけるたびに思わず足を止めさせられてしまう。
今日のビーチも、週末を楽しむ家族づれやカップルたちで昨日以上の賑わいを見せている。
空はよく晴れ渡り、しかし空気が少しひんやりとしているために、2人はしばらく水に入るのをここまで来ておいて躊躇ってしまっていた。
2日目。今日も午前中はコロニアの旧市街を歩く。
今朝も晴れてはいるが、昨日ほど“日差しが強烈に熱い”ということはない。
ラプラタ川の砂浜に広がる、夏の穏やかな昼下がりの風景。
実際には太陽の日差しがかなり強烈に照らしているからそれ程“おだやか”とはいえないのかもしれないけれど、目の前に広がっているビーチに遊ぶ人々の姿を見ていると、やはりここでは“おだやか”という言葉がピンとくるような気がする。
朝、HotelのCheck outを済ませると、Back PackはそのままそのHotelの荷物置き場に預けさせてもらい、手荷物だけで港へ向かった。
午前中にHostelをCheck Outすると、荷物を担いで数ブロック歩き、別のHotelへとCheck In。San Telmoの中心にある安Hotelで天井の高い部屋が気持ちいい。
朝、宿のロビーで朝食を済ませると、その後はしばらくゴロゴロと部屋のベッドで寝転んでいたのだが…。昼を過ぎてしばらくすると、どうにも腹が減ってしょうがなくなってきた。
お洒落なPalermo(パレルモ)で“X’mas Shopping”。
通りを行き交う人々のようにたくさんのプレゼント袋をぶら下げるような事はできないけれど、それでも一応、それぞれにちょっとしたプレゼントを購入したり。
Christmas Eveだから、今日は何か特別なことを…なんていう事もなく、いつものように宿で朝食を食べ終えるると昼前から町へ散歩に出掛けた。
1足早い、サンタさんからのクリスマスプレゼントだろうか…。昨日この街に到着した2人は、思いがけない「Big Game」を観戦する機会に恵まれることとなった…。
Rioで予約をしてあったHostelに無事チェックインを済ませ、ドミトリーのベッドの脇に重たい荷物をドカリと降ろす。
Buenos Airesにバスが到着したのは正午も近くなった頃だったが、良く晴れた青空が広がっているにもかかわらず、バスの外の空気は意外なほどにひんやりとしていた。
徐々に赤道から遠ざかっていることが、その理由であるのだろうか…。とにかく1日前に倒れそうなくらいの暑さ(熱さ)を感じたイグアスのそれとは随分と大きな違いだ。
宿に落ち着いた2人が真っ先に考える事と言えば、たいていの場合は“メシ”のことである。移動の後は、腹が減る。自分が動いているわけじゃないのに…考えてみると不思議なものだ。シャワーを浴びて身体に着いた汗やら埃やらを洗い流してしまうと、さっそく快晴のBuenos Airesの街へと繰り出した。
すると、歩き始めてまもなく、宿と同じ通りの“数軒隣り”くらいなところに、雰囲気の良い食堂を発見した。いや、まだ先にはいろんな店があるかもしれないし…そう思う心も片方にはあったけれど、この店はもう、見るからに“気になる”佇まいなのである。
客がほとんど“地元民風の爺さんたち”であるのも、味に期待を抱かせる。しかも、そんなたぐいの“常連客”たちの入りがかなり良さそうなのだ。
国境を越えると、そこには見覚えのあるイグアスの町の風景が広がっている。
日曜日だからだろうか、小さな町はどの通りも閑散としていて、開いている店も数えるほどしかない。たまにすれ違うのも2人と同じような“観光客風”か、それを狙って徘徊する怪しげな露天商たちだけ…。
前にも通り抜けた国境を、今度は逆のサイドから通り抜ける。
イグアスの空は抜けるような青色をしていて、雲もほとんど無いくらい。そして、Rioでは結局感じる事の無かった“夏の空気”が、ここに来てようやく戻ってきていた。
Rioを去る日。つまりは今日が、Brasilでの“最後の日”ということになる。
Rioでは、毎年9月以降になるとSamba schoolがカーニバルに備えた練習風景を一般客に公開し始める。
明日はいよいよ、アルゼンチンへの移動の日。
そんなギリギリの最終日になって、今回の滞在で初めて、Rioの青空と真夏の太陽が雲間から少しだけ2人にそのキレイな顔を見せてくれた。
Maracana Stadiumを見た。
本当はこの場所で、ブラジルサッカーの熱狂の中に身を置きたかったのだけれど…。
マラカナ・スタジアムに行く途中で、こんな素敵な路上マーケットを見つけた。
たいして大きな市ではなかったけど、店の造りや色合いが可愛くて、そのせいで売っているフルーツや野菜たちも何だかいつもより可愛らしくみえていたみたい。
Hostelの企画しているTourを利用して、南米最大といわれるRioのFavela(ファベーラ)を訪れてきた。
昨日、こちらの宿に移ってきた時、3日前同じこの宿の受付で出会ったオーストリア人女性“EVA”と再会。色々と話をしている内に、3人とも行きたいと思っているOscar Niemeyerの建築による美術館「Museo de Arte Contemporanea」へ一緒に行こうということになった。
Rio3日目。今日も外には曇り空と、時折落ちてくる冷たい雨粒が…。
そんな残念な天気の中で、2人は今日から宿を変更した。行き先は、先日親切に寝床を手配してくれたCopacabana中心部にあるHostel「Che Lagarto」だ。
Bedから這い出して宿の外の空を見上げると、昨日と同じ分厚い雲が…。
今日もRioは肌寒く、太陽の予感は感じさせてくれない。憂鬱な天気である。
Brasiliaでの1日観光を終えた後、夜行のバスに乗り込んで、さらに移動してRio de Janeiro(リオデジャネイロ)へ。
寝かした長方形の胴体の上に、逆向きになった台形と半円形が置かれている。
傍には空に向かって垂直に立てられた別の“長方形”が2つ並び、それが全体の形のバランスをうまく取っている様にも見える。
バスは、予定通りのAM8:00にBrasiliaへと到着した。
だけどターミナルのデジタル表示の時計を見ると、既に時刻はAM9:00を廻っている!?
自分たちの時計が途中で遅れてしまったのかと思ったけれど、どうやら実際は“時差”の影響であるようだ。サルバドールとブラジリアで、時差なんてあったんだっけ…。
Salvadorから、Brasiliaへ。
足の裏の痛みを懸念していたのだが、当日の朝にはどうにか歩けるまでに回復。
予定を変更することなく、2人はバスターミナルへと向かった。
ドラムの音が、なんてことない昼間の街角から響き始める。
しっかりとサンバコスチュームを身にまとった大人たちの演奏な場合もあるし、こんな子供たちが、それでもかなりしっかりとした演奏を聴かせてくれたりする場合もある。
4日目。
AM7:30に起きて、宿のダイニングで朝食を食べる。
メニューはいつも変わることなく、固めのパンと目玉焼きに、フルーツはバナナ&パパイヤ。それにグァバジュースとコーヒーがついて、かなりボリューム感がある。
午後、治療した足の裏を庇いながら、妙な歩き方のままで雨上がりの町を散歩に出掛けた。
それでもやっぱり足が痛いし、筋肉痛もひどくなりつつあったから、少し歩いてはベンチや階段を見つけて“ひと休み”の連続になってしまう。
空模様のハッキリとしない午前中を利用して、「Capoeira(カポエラ)」のレッスンへ。
場所は旧市街の中心部にあるカポエラ道場で、ほぼ毎日「1回1時間」の“授業”が開催されており、参加費の15レアル(≒\600)を支払えば誰でもすぐに参加する事が出来る。
Salvador3日目の今日も、天気はあまりはっきりしない。
本当は周辺のIsland Tour(ボート)に参加するつもりだったのだが、午前中の煮え切らない空の様子を見て、結局それもやめてしまった。
Salvadorでの2日目。朝、7時にかけた目覚ましの音で起きると、顔を洗って簡単に着替え、宿の食堂で朝食を食べる。
朝、AM8:00前にバスはSalvador(サルバドール)のターミナルに到着した。
ターミナルの中にあるマクドナルドの“朝マック”で朝食を済ませ、次に行くブラジリアへのバスチケットを購入してから路線バスで旧市街へ移動。
一応目当ての宿があったのだけれど、バスを降りた途端に声を掛けてきた客引きおじさんの宿を見に行き、結局そのままそこに泊まる事に決めてしまった。
NatalからSalvadorへ、約24時間の長距離バス移動。
移動時間が長いのも辛いが、バスの料金が高いっていうのも2人にとってはとても辛い。
“Carnatal”2日目。開演時間を過ぎたPM7:00前に会場へと到着したのだが、昨日にも増して参加者の人数が増えている事がひと眼で分かる。
昨日が木曜日で、今日が金曜の夜であるという事は大いに関係しているだろう。早い時間からすでに、“出来上がってしまっている人”もかなり多いようだ。
PM6:30の開演時間ギリギリに会場となるスタジアム前広場に到着したのだが、人出はあるもののまだそれらしき“音楽”は聴こえてこない。
宿の兄ちゃんが「ブラジル人は時間にルーズだから、時間通りに会場に行けば楽にいい場所が確保できるよ。」と言っていたのは、どうやら本当のことだったらしい。
午前中、昨日よりも少し離れた岩場まで歩いて、その周辺の静かな海で遊んできた。
いつものリゾートビーチ地帯を横目に見ながら南へと歩き続け、20分も行くと途端に人が少なくなってくる。そして、白い砂浜の合間・合間に小さな岩場が現れるのだ。
朝一番でPolicia Federalでの用事をさっさと片付け、再びショッピングモールで涼んだ後に、午後一番で“リゾートの気配”が充満した炎天下のビーチへと向かった。
このNatalでの“Carnatal”参加を決めた段階で、VISAの滞在日数が足りなくなる事が同時に決定していたので、今日はブラジルのVISA監査機関である“Pilicia Federal”に延長手続きをしに向かったのだが…。
Natal(ナタル)は、ヨーロッパの観光客などを集めるブラジル有数のビーチリゾート。
年間300日以上は「晴れ」の日であることから、ブラジルの“Sun City”というステータスを持つ。白砂のビーチの上、パラソルの下で横になりながらビールを飲む白人たちの姿自体が、この場所の“リゾート感”を演出している様だ。
30時間を1本のバスの中で過ごす移動というのは、やっぱりあまり経験したくない部類の旅路である。じっと座り続けていた身体のあちこちが凝り固まって、どうにも痛い…。
海に行った。
San Luisのビーチサイドはかなりキレイにリゾート開発されていて、砂浜には沢山の“海の家”というか、おしゃれなレストランやバーが並んでいる。
昨日の夜の、夢のような町の喧噪の気配から醒め、日が差し込んできた窓の外にのっそりと顔を出してみると、そこには星空の下とは全く違った“落ち付いた街”の姿が…。
宿のおばちゃんの好意で夕方まで部屋を使わせてもらえることになったので、今日も日記を書いたり本を読んだりしながら小さな期待を持って“便り”を待ち続ける…。
昨日の夜、Tourから帰って来る2人を待ち構えていた旅行代理店の担当「ラファエロ」(多分20代前半くらい。調子のいい若者って感じ。)から、明日以降の予定について更なる企画の提案があった。
みんな、呆けたように夕陽の落ちる方向を見つめている。
そんな人々の顔さえも風景と一緒に真っ赤に染めあげながら、少しづつ、少しづつ、真っ赤で大きな、まん丸い夕日が砂丘の稜線に近づいてきた。
白い砂で出来た砂丘と透明な雨水が創り出す風景。
夕方のそれは特にキレイだったから、そのいくつかをここに載せておきたいと思う。
その水は、蒼いというよりも“緑がかった透明”な色に見える。
白砂で出来た砂丘の地面が、ここの水をそういう色合いに見せているのだろうか。
昼過ぎにバスがようやく到着したのは、いつものような長距離バス用の“バスターミナル”ではなく、何でもないような町角の未舗装道路の上であった。
船の桟橋から外に出ると、客引きにきたTAXIと値段交渉をしてそのままバスターミナルに移動。今夜の“Sao Luis行き”のチケットを購入して荷物を預け、昼飯を食べるためにBelem(ベレン)の中心地へと向かった。
世界を喰らう!! も更新しました。相変わらず、色々と喰らい続けています(笑)。
珈琲色したアマゾンの流れの中に、たまに見え隠れする大きなピンク色の“尾びれ”。
あれは、もしかしたらイルカのそれなのではないだろうか…。
2日目。Manausを出発してから考えれば、アマゾン川における快適ハンモック生活も既に“4日目”という事になるだろうか。
ここまで来ると徐々に船上での1日の生活にリズムが生まれてきて、「退屈する」時間というのが逆になくなってきたように思う。
今日から再び、船上の人となった。
出発は午後の1時過ぎ。それでも前回と同じように、午前中10時過ぎにはボートに乗り込んでハンモックを吊るす場所取りをしたのだが、なぜか今度の船にはこの前のように大勢の客が乗り込んでくる様子がない。
うす曇りの天気のせいで昨日程の“心地よさ”は得られなかったものの、今日のAlter do chaoも2人にとっては十分に「癒し系」であった。
暖かい浜辺で、1本のビールを2人で分け合いながら飲むときの幸せな気持ち…。
午前中、Santarem(サンタレン)の町を川沿いに歩きながら、昨日の朝ボートで到着した桟橋を目指す。明日の再出発に備えて、事前に乗船券を手配しておくためである。
ビーチ入口のレストランバーでいきなりの「ビール!」を注文し、浅瀬の続く水の中に据えられたテーブルと椅子に腰かけてそいつを飲みながらの優雅な“川”水浴。
こんなに心と身体を芯からほぐすことができたのは、一体いつ以来の事だろうか…。
白砂の広がる、穏やかなビーチサイドの風景。
何も知らずにこれだけ見たら、ここが“リバーサイド”であるとはとても思えない。
Amazon2日目。
早朝に東サイドから射し込んできた太陽の光で目を覚まして、まずは船の周りに広がる景色をぐるりとチェックしてみたのだが、どうやら昨日までのそれとあまり変わってはいないようだ。
AM8:00過ぎにバスはマナウスのターミナルに到着した。
前回来た時から1週間も経っていないのだが、何だかそうとは思えないほど色々あった「ベネズエラの日々」であった。そんな充実の数日間を楽しみ、そして乗り越えて、予定通りの日程で戻ってくることができたブラジル・マナウス。
今朝のセスナも何だか不安混じりの手配であったが、それでも無事に充実のCanaimaからSanta Elenaへむけて飛び立つことが出来た。
最初の滝から湖畔に沿って湖を4分の1周程移動し、そこからは湖を離れて草原の中を次の目的地へと歩き続ける。
そして、20分ほども太陽に照らされながら乾いた大地を進んでいくと、そこにまた新たな滝が姿を見せるのである。
昨日の朝、最初にこの湖を見た時と比べても、今の水際ラインは数メートルも陸側にせり出してきているのが分かる。
そんな増水の影響は目の前を落ちる滝の流量にも影響していて、その勢いがまるで違ってしまっているのには2人とも驚かされた。
キャンプ地はその前と後ろを流れのはやい川に挟まれており、昨日到着した前方の川ではなく、後ろの川の方に帰りのボートが着けられていた。
川の水は、堆積した木や葉っぱの造り出す沈殿物(タニン)が溶けこんで、まるで紅茶のような透き通った茶色をしている。
鳴り響く轟音と舞い上がる飛沫の量で表現されている以上に、その巨大さと醸し出している神秘の気配は、まさに“圧倒的”である。
あれほど巨大な「イグアスの滝」を見てきたあとでも、その迫力は全く色あせる事はない。
979mという1km近い“世界一”の落差をもち、「ANGEL」という名をつけられたその滝を目の前にして、登って来た2kmほどの山道での疲れも一気に吹き飛んでしまった。
目の前の湖に横づけされたボートに乗り込むと、歩きだと20分程かかるはずの向こう岸までの距離を5分もかからずに渡りきってしまう。
時間が大幅にずれているため、ショートカットをしたということらしい。
セスナが小さな単線滑走路に降り立つと、そこには宿からのお迎えジープがきている。2人を含めたTour客一行を待ち構えていたようだ。
シートというより「荷台」と言った方がよいような、その車の後部空間に荷物を背負ったままで乗り込み、一行はそのまま湖畔の林の中へと向かった。
昨日の“言い争い”での最終的な妥協策案によれば、今日のフライト時刻はAM7:30。
そのフライトに間に合わせるため、AM7:00前には車で迎えに来るといっていたのだが、結局のところ車が2人をピックアップしたのはAM7:30を回ったあとであった…。
あいつだけは、絶対に許せない!??
そんな、それまでウキウキしていた気持ちがいきなりササクレ立つような事件が、早朝のCiudad Bolivarの空港にて起こってしまうこととなった。
Brasil | LATIN AMERICA | Venezuela
荒涼とした大地の真ん中を、セミカマ(リクライニングシートの夜行バス)の座席に座って走り続ける2人の今日の目的地は、“Santa Erena de Uairen (Venezuela)”。
ブラジル~ベネズエラ国境を越えてすぐのこの町は、周囲に広がる広大なギアナ高地、特に、小説「ロストワールド」のモデルとなった巨大テーブルマウンテン「ロライマ山」へのトレック基地となる場所である。
昨日の夜、予定時刻を少し過ぎたPM11:20頃に2人を乗せたGOLという航空会社の機体はManaus(マナウス)の空港に到着した。
空港のインフォメーションで長距離バスについての情報を聞くと、“今日この後すぐに更なる長距離バス移動”というのはやはり難しいようである。
昨日から日本語の通じる旅行代理店に入り浸り、安く早くマナウス(アマゾン河流域の起点となる町)に行くための道を探っていたのだが…。
結局のところ、やはり飛行機を使うのが一番早くて現実的なようだ。
ここでこれから先の旅のルートを確認しておくと、ざっとこんな感じで考えてる…。
疲れからか、あまり動きまわる元気はなかったのだけれど、それでも“新しい町を観光しないと”という強迫感から、一応Sao Paulo(サンパウロ)の街の中心部付近を歩いてきた。
サンパウロに到着すると、バス停からタクシーを拾って「Liberdarde」というメトロ駅そばのエリアへ移動した。
夕方、滝から路線バスのターミナルに戻ってみると、昼間と同じおばちゃんがきちんと店番を続けていて、2人の荷物も変わらず“レジ裏”という預け場所(!?)に置かれていた。
そんな荷物たちを受け取り、「グラシア…いや、オブリガード!!」と、馴れないポルトガル語でお礼をいいつつ別のバスに乗り込んで更に長距離バスターミナルへ移動。
国境を越えたあと、バスはFoz do Iguacuの町へと入っていく。
2人は路線バスターミナルの前で降ろしてもらい、大きな荷物を預けておいてからブラジルサイドの「イグアスの滝」へ向かおうとしていた。
アルゼンチン側イグアスでの最後の朝食をたいらげ、AM10:00にHostelをCheck Outすると、前の道路でバスを拾ってとりあえず町のバスターミナルへ。
そういえばここまでほとんど触れなかったけれど、今回泊った“Hostel Inn”という名のYouth Hostelはかなり立派な造りであった。
下側の通路を歩きながら見る滝の姿は、やはり上側の通路のそれとはまた違った魅力を見せてくれている。
滝壺に近づいて行っている分、風に乗ってきた水しぶきが徐々に身体に感じられるようになっているのも、違った気分を感じさせてくれている要因であるのかもしれない。
先ほどの列車に乗り直して少し手前のPointまで戻り、そこからさらに別のトレッキングルートを通りぬけて、滝を眺めるための新たなView Pointを目指す2人。
道はさっきと同じで人工的に整備された歩きやすい通路になっており、お年寄りのTour観光客の方々にとっても身体に優しい造りである。
VISAの貼り付けられたパスポートを受け取った後、バスターミナルから片道5ペソのバスに揺られて、遂にあの“イグアスの滝”があるNational Parkへとやってきた。
朝早起きして、宿泊費に含まれているパンとコーンフレークの朝食を済ませ、その後すぐにVISA取得のため町へと向かった。
バスターミナルから路線バスで5分程行ったところにあるYouth Hostelに荷物を降ろし、午後からPuerto Iguazuの町へ出掛けた。
偶然の成り行きから利用する事になったANDESMAR社のバスであったが、その乗り心地はかなり快適なものであった。
朝、AM7:00にバスがTucumanのターミナルに到着した…と思ったら、この移動の間に時差が生じていたらしくって、本当は既にAM8:00を廻ってしまっている。
乗継のバスが12時過ぎに出発する予定だから、フリータイムは約4時間と言う事になるわけだ。時間の割に高いとはいえ、ここは荷物をロッカーに預けてしまわないことには、町を観光したくても思うように動きまわる事ができない…。
アルゼンチン・ブラジルではYouth Hostelが各地にたくさんあるようで、そんなHostelを利用する事も出てきそうだなという事になり、昨日早速「Hosteling International Card」を作りにこの町のHostelへと行ってきた。
この町にやってきた当初の理由は、
「Tilcaraで出させてもらえなかった日本への国際郵便を出すため。」という、
実はいたって日常的な必要に駆られてであったのだけれど、来てみるとここでも素晴らしい宿に巡り合い、さらには品ぞろえ豊富なスーパー「カルフール」なども近所にあったりするものだから、おのずとリラックスムードが高まってきてしまった。
Tilcara(ティルカラ)の小さなバスステーションから出発して、San Salvador de Jujuy(フフイ)まではたったの1時間ちょっとくらい。
所要時間など全く調べていなかったのだけど、まさかこんなにもすぐに目的地へと到着するとは、思ってもいませんでした…。
ゆっくりとした眠りから覚めると、お昼近くになってから町の中央にある広場へ。
この時間に店開きをする“ピザとケーキを売る露店”にいって、それぞれ1.5ペソのあつあつピザとイチゴジャムのタルトを1つづつ食べると、それだけでもう、幸せな朝食のひと時になってしまう。
正直、ここで紹介する下手な写真では、この場所で見る事が出来る本当の山々の色合いを表現できてはいないと思う…。
Purmamarca(プルママルカ)へは、Tilcara(ティルカラ)のバスターミナルからローカルバスを捕まえて約30分くらい。
Tilcaraの周囲には、アメリカの西部でも見られるような“ビッグサンダーマウンテン的”山々が迫力ある姿を見せてくれている…。
Argentina | Bolivia | LATIN AMERICA
昨日の夕方、Uyuniの町に戻った2人は近くのホテルでシャワーだけを浴びさせてもらい、その後簡単に夕食を済ませてしまうと、その日の夜発の列車に乗ってチリ側とは別の国境を目指して出発した。
国境で車を乗り換えると、とりあえず昨日の宿泊地であった「Laguna Cororado」までもと来た道を戻っていき、そこから先は往路とは全く別の道を通ってUyuniの町を目指すことになったのだけれど…。
温泉から上がって目の前の食堂施設でヨーグルトとパンのたっぷりとした朝食を食べた後、更に南へと移動をしていき、7人(&ガイド)は遂にこの3泊4日UYUNI Tour最後のStop Pointとなる「Laguna Verde」に到着した。
AM4:30に鳴らした目覚ましの音と共に、それぞれのベッドからのそのそと這い出て出発の仕度を始める7人。
今日はAM5:00にここを出発することになっているのだが、実際この時間に起きてみると外の世界はまだ完全に闇に包まれてしまっている。
今日の最終目的地:「Lake Cororado」に到着したのは、夕方5:00前後くらいだっただろうか。太陽もだいぶ傾いてきており、徐々に空気が冷たくなってきているのが分かる。
車の窓の外にこの湖が見えてきたとき、まず驚かされたのがその水面を覆った「紅色」の見事さである。
2つのフラミンゴたちの湖を見学した後も、6人の日本人と1人のアメリカ人を乗せたJeepは砂埃をまきあげながら砂漠の大地をひたすら走り続けていく。
そして、その先の砂地の中にまた突然に見えてきたのが、こんな巨大な岩々が“落ちている”不思議な魅力をもった風景であった。
火山の観測を済ませた後も、さらに凸凹度を増した荒野を車はひたすら走り続ける。
そして、行く手の斜面に大きな石がゴロゴロと姿を現してきた辺りで、ガイドが
「ここでみんな行ったん降りて、あの山の向こうまで歩いて行ってほしい。」 と、
思いがけない自然派な、それでいて大雑把な順路を発表してきたのである。
パンケーキがついた豪華な朝食を食べ終えると、昨日と同じランクルに乗って、昨日と同じガイドの運転で砂漠の道をさらに南へと移動していく。
今日泊まる宿は、塩湖がほとんど土にかわって、その白さがかなり薄れてしまった辺りの湖畔とでもいうべき場所の高台に建つ古い施設。
見た目はかなり「ボロ」なこの宿も、中に入って良く目をこらしてみると、何とこれまた全ての壁や床やベッドやテーブルが全て塩で出来た「塩ホテル」だったのである。
予定時刻を少し過ぎたPM1:00頃になって、ようやく2人が合流するTourのJeepがPlaya Blanca(ホテル)に到着した。
朝、山と大地の向こう側から日がゆっくりと昇ってくるのを2人で静かに眺めた後、ホテルの部屋に戻ってからは、なんとなく特にする事もなくて、2人ともベッドの上で横になっている内にいつのまにやら眠りに落ちてしまっていた。
明け方、AM5:30にセットした目覚まし時計で目を覚ますと、昨夜の内に用意しておいた防寒装備(ダウンジャケットなど)を身にまとって薄暗い空の下へと飛び出していった。
ホテルの部屋から外に出てみると、さっきまであんなにも強烈な日差しで肌を焦がしていた太陽の威力も大分弱まり、辺りはすっかりひんやりとした夕方の空気に包まれていた。
まっ白い“塩の世界”のど真ん中にポツンとたたずむその小さな平屋建てのホテルの外に腰かけて、あらためて目の前の風景に目と耳を傾けてみる。
昨日の夕方、バスが到着すると同時に声を掛けてきた客引きのお姉さんに連れられて行ったTravel Agencyにて、そのまま勢いで今日からのTourの手配をしてしまった…。
宿(KOALA DEN)の朝食をたっぷりと腹におさめて、準備を済ますとTaxiに乗り込んでUYUNI(ウユニ)行きのバスターミナルへと移動した。
POTOSIの町の後ろにそびえたつ「Cerro Rico(富の山)」と呼ばれるその鉱山に向けて、
13人のツアー客がミニバスに乗り宿を出発したのがAM8:00を少し過ぎた頃。
そこからまず、町外れににあるTour 鉱山夫用の倉庫に寄って、全員お揃いの鉱山服に着替えることになる。これが着てみるとかなりテンションが上がってくるもので、まるで自分が本当に“鉱山の男”であるような気がしてくるから面白い。
午後、町を歩いている散歩のついでに、遠くの視界に見え隠れしている「ミラドール(展望台)」へと足をのばしてきた。
LaPazを出発した旧式の夜行バスがPotosiのTerminalに到着したのは、早朝のAM6:00頃だっただろうか。
これまでの町と同じように朝の空気はひんやりとしていて、バスを降りた途端に2人とも眠気がすっかり冷めてしまった。
今回ここLaPazで泊った宿の周辺には、本当に奇妙なものを売るお店が密集していた。
その中でも特にパッと目を惹く商品は、やはりカピカピに干からびてしまった“元リャマ”のミイラ体だろう。
昨日、博物館を出てから宿に戻る道すがらに開いてるお店を冷やかしていたら、Mが急に“Sellos de Goma”と看板に書かれたお店の前で立ちどまってしまった…。
先日、コパカバーナからラパスに向かう途中で見た“Parade”の一行が、町の至る所を占拠するように埋め尽くしている。
そんな“非日常的”なラパスの町を歩いてみるものの、普段の日と違ってこんな日には休んでしまっているお店や施設が多いらしくて、思った様な街歩きの手応えが感じられない。
La Pazの町のお祭りに参加した後、急いでコレクティーボを捕まえて、30分ほど行った郊外に広がる巨大市「El Alto」へと向かった。
AM7:00発のバスに乗って、ボリビアの首都;La Paz(ラパス)を目指す2人。
本当はもう少しゆっくりとした時間のバスに乗るつもりでいたのだけれど、急きょ予定を変更して、早朝のバスに乗り込んだのだ。理由は、“今日が日曜日”だったって事!?
“太陽の島”行きフェリーは、Puno(ペルー)からのツアーで乗ったものよりもかなり“簡易的”なつくりのものであった。しかも速度がやたらと遅い!?
地図上ではそんなに遠く見えない「太陽の島」に行くのに、往復3時間かかるという理由が、走り出してみてようやく理解できたのです。
Bolivia | LATIN AMERICA | Peru
ペルーから、ボリビアへ。
ここでの国境越えは、チチカカ湖を横目に眺めながらの開放的な雰囲気で行うことが出来ました。
アマンタニ島から目の前に見えていたタキーレ島への移動は、それでも思ったより時間がかかったような気がする。
ボートも遅かったが、目測での距離感も読み違えていたのかもしれない。
昨日の夜は、とっても楽しい「島の夜」でした。
カレーの様な味のするベジタブルディナーを3人(スペイン人の大学教授“ミゲル”と一緒に)で楽しんだ後、Angelaに勧められるがままに民族衣装に着替えさせられ、いつのまにやらこんな姿に…。この衣装を着ると、体系的にもどこか島民たちに近くなってくるみたいだ。
昼を少しまわった頃、ボートは目的地「Amantani(アマンタニ島)」へと到着した。
ウロス島を出発してから、ここまで約2時間半くらいはかかっただろうか…。
ほとんど波のない湖面を、ゆっくりと滑るように移動するボートの上で何だか気持よくなってしまって、2人ともいつの間にやら眠ってしまっていたらしい。
その島々が目の前に現れた瞬間に、どこか異空間に迷い込んでしまったんじゃないかという錯覚に陥ってしまった…。
それくらい、この草で出来ているという浮島のインパクトは2人にとて強烈だったということ。こんな風景、まったく想像してなかったなぁ。
ボートが港を出港してすぐに、Punoの陸側から見ていたチチカカ湖が本当のチチカカ湖ではなかったという事が分かった。
宿で貰った地図の脇に乗っていた写真の場所に行きたいと言ったら、「今すぐにTourがでるから、そのバスに乗ったらいいよ。(ホテルのフロント係談)」って…。
早朝AM5:00にターミナルに到着したバスを降りると、そのまま客引きに来たTAXIに乗り込んで、今日泊まる予定の宿「Hostal Manco Capac Inn」へと向かった。
クスコ最後の日の空は、今まで見たこともないくらいにくっきりと晴れ渡っていた。
最後の最後に、ようやく“晴れのクスコ”を見る事ができたのがとても嬉しい。
夜行バスの出発時間はPM10:00とかなり遅め。
なので、昼前に荷物を部屋から出した後、それをそのまま宿で預かってもらって、火曜日に市が開かれているという「PISAQ(ピサック村)」を訪れてきた。
昨日の夜、宿に帰ると、数日前にここを出発する時にもただ一人の同宿人であったコウタロウ君がいつものダイニングの椅子に座って2人の事を迎えてくれた。
昼過ぎ、PM2:30発の列車(Back Packerクラス)に乗って、Aguas Calientes(マチュピチュ村)からOllantaytamboへ。充実したマチュピチュ紀行も、遂にこれで終焉に近づいてきたわけである。
Huayna Pichu(ワイナピチュ)から下山した後、ツアーガイドから渡されていた“ランチBOX”でお腹を膨らませ、遺跡の中を歩きながら少し身体と心をリラックスさせる。
そして、お昼を廻る少し前に、今度は「マチュピチュ山」登山をスタートした。
Huayna Pichu(ワイナピチュ)への整理番号をもらった後は、そのままその列に並んで入口前で待機。そして、入口の扉が開いてからも1人1人に記帳作業が必要なため、実際に入山できたのは大分時間が経ってからのことであった。
AM4:00起床。
昨日までのトレッキングによる疲れも溜まっているから“スッキリと”目覚められたわけではないけれど、今日の為にここまで来たのだから寝坊するわけにはいかない。
両サイドをワイナピチュとマチュピチュ山に挟まれたマチュピチュ遺跡の、ほぼ正面という位置にそびえたっているのが、プトゥクシという名の山である。
3日目。~10月10日(金)~
今日は最後の20kmの道程を歩いて、遂にAguas Calientes(通称:マチュピチュ村)に到達する予定の日である。
2日目。~10月9日(木)~
今日はSanta Maria村からSanta Teresa村までの山道24kmをトレッキングで進んでいく。
出発の朝。天気はやはり、昨日までと変わりのない「どんより曇り」であるらしい。
AM7:30に宿に来る“迎え”に間に合わせるため、早めに起きて最後の荷造りとチェックアウトの事務手続きを済ませる。
予定では、午前中に近郊の村「PISAQ(ピサック)」の火曜市を見に行き、午後にクスコの町に戻ってきて「MACHU PICHU行き」を検討するつもりだったのだが…。
AM8:00過ぎにターミナルに到着したバスを降りると、辺りはグッと冷え込んだ空気に包まれていた。朝であることを考えても、昨日までとは随分気候が違うようだ。
昨日よりも少しだけ早めに動きだして、今日もまた、2人は夕暮れ時のMirador(ミラドール)へと向かった。
Check Out時間ギリギリに宿を出て、昼食を食べた後にこんな優雅な(!?)Poolにて、午後の暑い時間を涼やかに過ごしてきました。
夕方、TAXIを往復料金でチャーターして、NAZCAの町から15kmほど離れたところにあるMirador(ミラドール)へ。
フライト時間の40分は、まさにあっという間と言う感じだった。
3人乗りというとても小さなセスナ機の機体に最初は少し不安も抱いていたけれど、飛び立った瞬間からもう、その機敏で快適な大空の旅に2人ともすっかり夢中になってしまった。
まわりが少しざわついていたからだろうか、なんとなく目を覚ましてしまい、窓の外を見てみると、バスがちょうどNAZCA(ナスカ)のターミナルについたところだった。
朝食は宿のテラスにあるカフェで「Continental Breakfast」を注文。
パンと卵&コーヒーで身体をあたためてから、小雨降る肌寒いリマの町へと出掛けてきた。
バスは早朝AM5:30頃にLima(リマ)のバスターミナルに到着した。
まだ夜も明け切っておらず、肌寒い、それでいて乾燥した空気が辺りを包みこんでいる。
居心地の良かった“Caroline Lodging”とも今日でお別れ。
首都:Lima(リマ)へと向かう夜行バスでの移動に備えて、今日は町で買い物をした以外は、ほとんどの時間を宿の中で過ごしていた。
昨日、一昨日と目一杯遊び廻っていたので、今日はそんな酷使された体の疲れを癒すために、この近くにあるBanos(温泉)へ行ってきました。
2人が小休憩をしたSmall Lakeから先は、また30分くらい、湿原というか、小川の流れる大平原が続いていく。だだっ広い、黄金色の大地だ。
AM5:30に鳴らした目覚ましの音に、最初はなかなか気付く事ができず…。
徐々に耳の中へと入り込んできたその“音”に気付いて、寝ぼけながらスイッチを探した。
もう、朝になってしまったんだ…。
この遺跡はプレ・インカ時代の遺跡としてはかなり古いもので、紀元前1000年頃につくられた古代の「宗教都市」遺跡であるらしい。ユネスコ世界文化遺産にも登録されている。
朝、到着してすぐの朝食を美味しくいただいた後、そのままTeo(宿のツアー・登山に関する相談担当のおじさん)のミニバスに乗せてもらって町の中心へと移動。
Mony Travelという会社が運行しているAM9:00発のツアーバスに乗り込んで、初日からいきなり「Chavin de Huantar遺跡ツアー」に参加してきた。
目を覚まして窓の外を見ると、切り立つようにそびえる山々の手前に、ぼんやりと霞んだような湖が見えた気がした。
早朝の“紫がかった”幻想的な色彩の中で、その湖はあまりにも美しすぎるようにも見える。何だ、これは本当に湖なのだろうか…。
ゆっくりと朝寝坊をして昼前に起床し、CATVのNHKチャンネルで朝ドラ「瞳」の最終回を見ながらゴソゴソと荷造りをし始める。
そして、12時のチェックアウト時間ギリギリに部屋から出ると、とりあえずその荷物をロビーに預けて外に飯を食べに出かけた。
夕方、ちょっと用事で出掛けてきたTrujilloの町から帰ってきたら、浜ではちょうど、「トトラ舟」での漁を終えた男たちが帰ってきているところであった。
Huanchacoの夕日は、いつも水平線より少しだけ高い場所で薄い雲に隠れるようにして消えていってしまう。僕らはいつも、それを宿のテラスや海岸から眺めているのです。
朝8時過ぎにTrujillo(トルヒーヨ)の宿をCheck Outし、バックパックを担いだ状態で近くの大通りから小さなコレクティーボに乗り込んで一路Huanchaco(ワンチャコ)へ。
AM9:00過ぎには海辺に建つ真新しい白壁の宿「Hostal Rubalong」のOcean Viewの部屋へと移ってくることができた。
Ecuador | LATIN AMERICA | Peru
朝は近くのCiber Caféでブログ作業を行い、午後になってから宿を出てバスターミナルへ。
そして、ペルーとの国境方面へ移動するため、まずはここより太平洋側にあるMachala(マチャラ)という町行きのバスに乗るつもりだったのだが…。
今日は日曜日。ほとんどのお店がお休みだから、Cuencaの町も、通りも、何だかひっそりと静まりかえっている。
Cuenca(クエンカ)周辺に点在するインディヘナの村々で日曜日に開催されている「市」を巡りに出掛けてきた。
朝、シャワーを浴びる段階になって、「Agua Caliente(お湯)」があまり出ないことに気がついた。昨日は移動で疲れてすぐ寝てしまったため、Mは移動の汗をどうしてもお湯のシャワーで流したかった様子。
予定通りの3泊の滞在を終え、早朝出発で次の町へと移動を開始。
今回は短い滞在だったけれど、盛りだくさんのとても充実した日々だったと思う。
コロンビアのPASTO(パスト)からエクアドルのQUITO(キト)へバスを乗り継いで移動してきた時、いつの間にか知らずに通り過ぎてしまっていた「Equador(赤道)」のラインを改めて確認するため、QUITO近郊にある「赤道記念碑」という所を訪ねてきた。
部屋でベッドで本を読んでいると、部屋の入り口のドア(すりガラスになっている。)に人影が!なんだろうと、ドアを開けてみると、遠ざかる人影と“キャッツアイ”からの手紙がドアに挟まっているのが分かった。
“教会建築巡り”だけじゃなく、とにかく1日中Centroの街を歩き回っていたのだが、そんな街歩きの合間合間に「Basilica de Voto Nacional」のようなQUITOの街を一望できる素敵なスポットをいくつか訪問してきた。
インカ帝国時代の都として栄え、その町並みが世界文化遺産にも登録されているQUITO(キト)のCentro(旧市街)には、たくさんの魅力的な教会が点在している。
Colombia | Ecuador | LATIN AMERICA
国境を越える日の朝、AM7:00に目を覚ますと、2人ともいつもより素早く着替えを済ませて宿のそばにある馴染みの(2回しか行ってないけど。)Caféへと向かった。
窓の外では、音もなくシトシトと冷たい雨が降り続いている。
Pastoの町の外側に連なる山々の佇まいが気になって、今日1日をこの町とその周辺で過ごすことに決めていたのだけれど…これじゃ、ゆっくり通りを歩くことすら ままならない。
Popayanから更に6時間ほど南に下って、Pastoという山間の町に移動。
ここはエクアドルとの国境までバスで1時間半くらいの距離にあり、思い立てば今すぐにでもエクアドルに入れてしまうくらいの場所である。
朝、ゆっくりと起きて身支度を済ませ、更に南へと移動を開始。
宿を出る前に同宿のオランダ人Paulからブラジルについての情報をもらい、南米での旅に更なる期待が膨らんだ。Paulはブラジルを5カ月かけて旅してきたようだが、写真を見せてもらっていると、アマゾン周辺のアクティビティがなかなか楽しそうで景色もすごい。
お金は掛かるだろうけど、やはりブラジルも見たい所がたくさんありそうだな…。
San Ciprianoの村に到着すると、入口で“入村券”を購入することになる。
これが1人1500ペソ。高くはないが、村に入るのにチケットって、何だか変な感じ。
7時に目覚ましを鳴らしたのに、身体がどうにも起き上がってこない。
ベッドが気持ちのよい硬さなのもあるし…やはり疲れがたまってもいたのだろう。
結局、昼前まで“ひと眠り”してしまった後、バス旅用に持ってきていた揚げ物類で簡単な朝・昼食を済ませ、ようやく太陽の光りが降り注ぐ“真夏の世界”へ。
それでもカルタヘナの様な湿気はなく、日陰に入ると涼しさを感じるような、比較的すごしやすい気候であるようだ。
昨夜、PM9:00発の夜行バスに乗り込んで、2人は次の町「Cali(カリ)」へ移動してきた。
宿に雨具を取りに帰った途端、さっきまでの雨がすっかり上がって、
眩しいくらいに太陽の光が射し始めた。
なんだ、せっかく身支度しなおしたのに…。
朝、昨日の残りのピザをレンジで温めて食べ、腹いっぱいになったところでBogotaの街へと繰り出した。
7時に宿のスタッフにTAXIを呼んでもらい、町の中心にあるBus Terminalへ。
朝、宿のトイレに行っている間にTAXIを呼んじゃってもらおうと思ってたんだけど、
「電話をすると1分で来ちゃうから、トイレ出てから電話してあげるよ。」だって…。
朝起きると、昨日にも増して良く晴れた青空が窓の外に広がっていた。
馴れない登山で疲れてしまったのと、濡れた衣服を洗濯するためという口実もあり、Mountain Houseにもう1泊させてもらうことにした。
傾斜した大地を踏みしめる2人の足の下に積る雪が、次第にその深さを増してくる。
4800m地点の登山口を出発した一向は、クラウディアの歩調に合わせてゆっくりとNevado del Ruizの山肌を登っていく。数メートル、数十メートル進む度に小さな休憩をはさみながら、「Muy Bien!!」という決まり言葉で皆を励ますクラウディアの声にそそのかされつつ、徐々に“上”へと移動していくのだ。
朝、AM7:00にピックアップしてくれる予定だったTour Busは、当り前のように予定時刻を30分遅刻して、2人を含めたMountain Houseからの参加者5人をその小さな車体の中へと押し込めた。
マニサレスは標高2000を超える高地にある町で、起伏の激しい土地に貼りつく様に広がっている。
今日、コーヒー農園から帰ってきたあと、バスターミナルから町の中心にある教会「Cathedral De Manizales」へと向かい、南米2位(らしい)の高さを誇る106mの尖塔のてっぺんから町の全容を見渡してきた。
到着以来、マニサレス周辺の天気は本当にキリッとしなくて、いつも分厚い雲が空を覆っている感じなのだが、意を決して出掛けてきた今日は、農園を歩いている時だけ温かい日差しに恵まれることとなった。こういうのは、やはり日頃の行いなのでしょうか…。
朝、AM9:00に宿を出発し、CASA KIWIから同宿のイスラエル人エヤルと3人でChinchinaという所にあるコーヒー農園へと出かけてきた。
朝から、曇り、のち雨、のち雷雨…。
自然とふれあうには、すこし天候がよろしくないです。
前回の「カルタヘナ~メデジン」は夜行バスでの移動だったが、今回のManizales(マニサレス)行きは昼過ぎのミニバスに乗って、Day Timeの移動となった。
明日の移動に備えて、今日は宿の近所で買い物やら、何やら、かんやら。
特に何もしなかったってことだけど、コーヒーだけはいつも忘れず飲んでいる。
もう1つのMetro Cable、Linea Kに乗って、山の上の町Santo Domingoへ。
ここでは何の祝いなのか、駅を降りてすぐの町かどでフィエスタが催されていて、簡易的に設置されたステージの上ではバンドか何かの演奏がされており、そのまわりを若者たちが、黄色い歓声とともに埋め尽くしてしまっている。
先週、雨の降る中この広場を訪れた時には、「明日また、晴れた中で見に来ようね。」なんて話していたのに、結局再びここに来るまでに1週間もの時が経過してしまった。
この旅に出て以来、2度目のBirthdayをCOLOMBIA・Medellinで迎えたM。
2008年08月25日(晴れのち雷雨)
「風邪なの?」朝になって起きてみると、明らかにJの様子がおかしい。
熱を計ってみるとやっぱり、37.8℃ほど熱がある。
昨日の寒さで、きっと風邪をひいたらしい。日本から持ってきていた市販薬の風邪薬を飲み今日はゆっくり寝させることにした。
Jardin Botanicoを出た後、目抜き通りをメトロの線路に沿って南の方へと歩いていき、3時頃になってPlaza Boteroへと到着した。
Medellin Life 一日目。
常春の町と言われるだけあって、暑すぎず、寒すぎず、過ごしやすい気候が心地よい。
何だかんだと思ったよりも時間がかかり、ようやくCasa Kiwiの部屋に落ち着いた時には、1時近くになっていた。
カルタヘナからここメデジンまでの道のりは、あまり順調なものではなかった。
いよいよ出発です。
今日まで宿の中で仲良くしていたネコの「トラ(ホントの名前は知らない。コスタリカの動物園にいたトラの体型に似てた。)」ともお別れの時がきた。
カルタヘナを発つ日、Mが好きなフルーツジュース屋に行って、またいつもの“ピーニャ・コン・レチェ”を飲んできました。
何度飲んでも、そして大体どこで飲んでも、こいつはいつも同じように美味しい。
今度こそ、この旅最後のカリビアン・ビーチ。
Playa Blanca(訳すとその名も“白砂ビーチ”)はカルタヘナ周辺で最も美しいとされるビーチの一つ。
どうやら、このビーチはIsla Baru(バル島)という場所にあるらしい。
午前中は旧市街のCENTROをウロウロと歩きまわって、昼飯後に市バスでリゾート地区のBOCA GRANDEへ。
ここでは旧市街の風景から一転、高層ビルやホテルが建ち並び、サイドには整備されたビーチが横たわる、近代的なリゾートタウンという様相だ。
夕方にばかり見ていた旧市街を、午前中に歩いてきた。
すると、これがまた、昨日までとは全然違う町の一面を見せてくれたのです。
Colombia | LATIN AMERICA | Panama
パナマからコロンビアまでの空の旅は、こちらのプロペラ飛行機にて。
思ったよりも、ずっと小さな機体に、何だか少し不安がよぎる…。
早朝の空港出発ロビー前に滑り込んだTAXIを降り、AIRES AIRのカウンター目指して歩き始めた。
しかし、いくら探してみても、お目当ての“AIRES AIR”の文字が見当たらない。
どうも到着が早すぎたらしく、カウンターもまだ開いていないようなのだ。
中米最後の朝。
6時にセットしたアラームの音で目を覚ました2人は、まだ眠たいとストライキを起こす瞼をなだめるべく、きれいに掃除された真っ白な洗面所の冷たい水で顔をあらった。
昨日のペンションは1泊だけしか部屋が空いていなかったので、3時のCheck Out時刻までに今日以降泊まるための新しい宿を探すことにした。
本当は昨日のうちに見つけとけば良かったんだけど、色々歩き回っているうちに2人ともなんだか疲れ果ててしまって、結局昨日は良い宿を発見できなかったのだ。
色々とTravel Agencyを廻ってみて、ようやく南米への道を決定することができた。
選んだのは、AIRES AIRというコロンビアの航空会社で、行先はCartagena in Colombia。
予定通り、朝の5時過ぎにPanama Cityのバスターミナルに到着した。
国内線エアポートに隣接されているこのターミナルは、今まで 通り過ぎてきたどこのものよりも巨大な建物で、到着ロビーが2階、出発ロビーが1階と分かれているところなんかはまるでエアポートそのものといった雰囲気。
Bocasとは、3泊でお別れ。
でも、中2日ともよく晴れた中、それぞれに素晴らしいプラヤで遊ぶことができたから、2人にとってはかなり満足できた3泊だった。
普通、このくらいの滞在で十分なんだろうね、本当は。
この町も、夕暮れ時の風景が何んともいえず、とてもきれい。
夕焼けの色が似合う町と、そうでもない町ってやっぱりあるみたいだ。
海のそばの町は、晴れた日中の青空と同じくらいに、夕暮れに焼けた色がよく似合う。
汐だれた身体で町を行く人々の雰囲気が、このユルイ空気を創っているのかな。
やっぱり、まだまだ泳ぎ足りないようだ…。
朝、メシを済ませると海辺のボート乗り場へ向かい、“Isla Batismento(バティスメント島)”行きの小さな舟に乗りこんだ。
Bocas del Dragoには「Starfish Beach」というビーチがあり,
水中には本当に沢山のヒトデたちがいました。
とはいっても、ばらばらにたくさんいるのですが、ちょっと頑張って、2人でたくさん集めてみました。
What a beautiful beach it is !!
Bocasのメインストリートから出ている島の北側行きのコレクティーボ(ミニバス)に乗って、美しいビーチがあるという噂の“Boca Del Drago”へと向かった2人。
国境を越えた後、そばに停車していたミニバスに乗って、Changuinola(チャンギノーラ)という最寄りの町へ。
そこから川下りのボートで海に出て、そのまま目指す島まで移動する…予定だったのだけれど、このミニバスが、どうも思ったより長く走っている気がする…。
Costa Rica | LATIN AMERICA | Panama
Puerto Viejoのバス停から定期便のバスに乗りこみ、まずは国境の町「Sixaola(シクサオラ)」へ。スペイン語で国境(Border)は「Frontera(フロンテーラ)」という。
出発の日の朝、部屋で荷物を片づけながらも、となりにドスンと構えている眠り馴れたBEDと枕に別れがたさを感じてしまっていた。
こんなに快適なのに、離れなくちゃならないなんて…。
遠くの方から、ミンミン蝉の鳴く声がこの部屋の中にも小さく聞こえている。
夏の、良く晴れた日の午後、夕方になる少し手前の、日差しがやわらいでくる時間帯。
プエルト・ビエホの海岸沿いにトレイルがあって、ジャングルの中をお散歩でできるようになっている。
ターザンロープの垂れる木やツタがびっしり絡まっている木が生い茂り、めずらしい鳥やサルなんかもにも会う事が出来る。
朝ゴハンは、毎日変わらない定番メニュー“コーンフレーク&ベーコンエッグ”。
今日は昨日の夜メシで残ったオニオンスープを付けて、少し豪華版な具合にしてみた。
快晴の金曜日から一夜明けて、本日、土曜日の天気は“うす曇り”。
まぁ、毎日自転車を借りるほどの経済力もないから、今日は近所でゆっくりすることに。
宿の傍にだって、立派なビーチがいくつかあるんだし。
気持ちいい~!!
そんな、2人が戯れてきたカリブの海の、水際でのスナップ写真たち。
よく晴れた青空が一部分だけのモノではないことをじっくりとよく確認して、その後2人は宿から100mくらいのところにある「レンタル自転車屋」へと向かった。
ロビーに降りて、食事を作ったりパソコンをしていたりすると、いつも何処からか音もなくすり寄って来て“ヌボ~”っとした顔をこちらに向けている。
あまりにも変化のない天気に、思わず「今日もかぁ…。」とため息が出てしまう。
曇りのち雨。もしくは、雨のち曇り。
とにかく、ここにきてからの3日間は、毎日それの繰返しです。
早朝、暗がりの中でにわかに目を覚ました時、窓の外からは昨日と変わらぬ“雨の音”が聞こえてきていた…。
しかし、7時に鳴らした目覚まし時計をよそに、8時まで眠り続けた2人がようやくベッドから起きだした時には、空の向こうに真っ青な色が見え始めていた。
ようやく、晴れまが顔を出してくれたのかな。
平屋造りの家々の雰囲気が2人とも好き。
そして、海辺の町には広い庭と平屋の家が良く似合うものだ。
今日は朝から、あいにくの雨模様。
Hostelの1階にあるロビーでオーナーお手製の豪華朝食をいただいた後、キッチンに置かれたFree Coffeeを2人分、陶器製のカップに注いだ。
熱帯雨林を通り抜けてきたバスがカリブ海側のCoast Lineに到達した頃には、涼しかった高原のさらりとした空気も、体に絡みつくような、真夏のネットリとした空気に変わっていた。時刻は、もうすぐ夕方の4時になろうとしている。
宝の地図をひらくかのように、中米MAPを見ながら次の目的地を見定める2人。
コスタリカの首都San Joseにて、ゆっくりとリラックスした日曜日。
朝は遅めに目を覚まして、昼ごろから町を歩き始めた。昼食は近くのチャイナ・レストラン。昨日まで「ランチ=サンドイッチ/ディナー=ポテトチップ」のバス食で過ごしていたから、ちゃんとした食事を摂るのは久しぶりな感じがする。
Costa Rica | LATIN AMERICA | Nicaragua
朝、9:00頃に2人とも目を覚まして、体が妙に固まってしまっていることに気づいた。
毎日バスの中で椅子に座り続けているだけなので、どうもそれはそれで、それなりの方向性をもって体は疲れてきているようなのだ。
El Salvador | Honduras | LATIN AMERICA
今日も、バスの中でじっと座り続けながら、ひたすら南へと移動する旅路。
昨日の夜は、予定よりも少し早めの7時過ぎにエルサルバドルの首都“San Salvador”
に到着。バスターミナルから100mくらいのところにある適当な安宿に部屋(US$12/1室)をとって、ほとんどそこから出ることなく、翌朝AM11:00発のバスで2日目の旅へと出発することとなった。
PM3:30、定刻通りにオフィス前に現れたバスは、なんともゴージャスな造りの、
文字通りの“Deluxe Bus”。
さすが、社名がKing Qualityというだけのことはあります。
無事に中米縦断バスチケットを手配し終えて、オフィスにてバスの出発時刻を待っているときのこと。
Jが少し離れた所にある“カンペロ”という中米版ケンタッキーでMの好きなチキンナゲットを購入して、Mの待つバスターミナルへと戻ってきた。
2泊3日の中米縦断旅行が、遂に今日からスタートした。
しかし、それはまた、始まりから“障害物競争”のように様々な状況に行く手を阻まれながらの、先行きが思いやられるような船出でもあった…。
コスタリカ行きの国際バス(TIKA BUS)に乗っているはずが、手配が上手くいかず…。
結局、こうしてパソコンに向かったりしながら、ペンション田代でしばしの休息。おかげで先週一週間の“Short Trip”については、ブログを全てアップすることができたけど。
なかなか、いつも全てが順調に進むってワケにはいかないようです。
そういうわけで、最終的な出発日は7月31日(木)に決定。
今度こそは、出発しますよ、絶対!!……いや、多分、かな…。
みんなとこの先の国々での再会を誓いつつ、今日の別れに対しての言葉を交わし、2人は一足先に新たな国へと向かう旅をスタートすることとなった。
楽しみにしていた、チチカステナンゴの日曜市。
ここの市は比較的規模も大きく、観光客にも人気があって、週末はそれ目当ての宿泊客で人気のホテルは埋まっていたりする。
Hotel El SolをCheck Outしたあと、移動の前にお気に入りのカフェ「CrossRoad Café」でお茶をしていくことに。
ソロラからの帰り道は、行きにバスの窓から見た景色がとても良かったから、またまた歩いてView Pointを巡ってきました。
朝からチキンバスに乗って、金曜市の開かれているソロラへ。
本当は火曜日の市が大量の古着などで盛り上がるようなのだけれど、日程的にそれには残念ながら参加できず。それでもいつものように市はものスゴイ人だかりで、色とりどりの民族衣装が見ているだけでもかなり楽しい。
AntiguaからXelaまで移動するこの1週間は、2人共このmarimekkoのBagに荷物を詰めて旅している。
昨日と同じお店でおんなじメニューの朝食を済ませ、今日も良く晴れた空の下に広がる“絶景”にため息をつきつつ、午前中の内から次の町「Panajachel(パナハッチェル)」に移動。
朝メシを食った後は、すぐそばの桟橋からボートに乗って隣村の「San Juan」へ。
以前、TAKAさんたちと来たときと同じように、サユリさんが今日も手作業で家造りに奮闘していた。いや、奮闘というよりは、楽しんでいる感じだろう。
昨夜は、Hotel SanfranciscoというBack Packer宿に宿泊。
本当はLake Viewの部屋のはずだったのが、ちょうどそっちサイドの部屋が埋まってしまっていて、結局窓からは湖を見ることができず…。Q40(\600)/1部屋と料金は安いけど、何だか少し残念な気分。
Antiguaの宿「ペンション田代」にバックパックを預けたまま、手荷物だけで1週間のショートトリップへと出発。
晴れ渡った空の下、午前中の内に町の外れにある「十字架の丘」へ。
昨日の夜はシトシトと雨が降り続いていたのだけれど、一夜明けて起きてみたら、窓の外には真っ青な空が広がっていた。あたたかい日差しが心地いい。
周囲を緑豊かな山々に囲まれたアンティグアは、町全体がテーマパークのような印象。
朝、部屋の空いた「ペンション田代」に荷物を移動して、その後はいつも通りの町歩き。
中央公園付近のお店を冷やかしたり、メルカド(市場)に行って日用品をかったり。
バスターミナルの近くには移動遊園地のような施設があり、子供たちが小さなアトラクションに乗って楽しそうにはしゃいでいた。
CobanからローカルバスでAntiguaへ行こうとすると、 Guatemala Cityで乗り換えることになる。それをしたくなかったから、今回は料金的には少し高めの「Shuttle Bus」を利用することにした。
COBANには結局2泊することになったが、観光らしきことは何もしてない…。
ゆっくり眠って、名物料理を食べて、近所でインターネットをしたくらい。
ちょっと、疲れが溜まってきたのかな。
明日にはコロニアル都市Antigua(アンティグア)に移動するから、そうしたらまた、町歩きを楽しみたいなって思っています。
セムクチャンペイは、かなり山の中にあって、自然の生き物がたくさいます。 蝶々やトリや虫たち。
セムクチャンペイの宿に行くまでには、ランキンという町からトラックの荷台に乗って行かなくてはなりませんが、これがかなり景色も良いし、風も清々しくって、最高に気持ちイイ。
行きのトラックでは、2人とも大はしゃぎでした。
Las Mariasに宿泊している旅行者には、特典として通常Q65の「Kan-Ba洞窟ツアー」にQ40で参加できることになっている。
セムクチャンペイについて、宿に到着したけど、部屋はほとんど「外」状態。
外階段で上る、屋根裏の“窓なし&壁なし(カーテンのみ)”バージョンでした。
しかたないし、今日はここで我慢するしかない…。
森の中にひっそりとたたずむその「プール」では、2人が到着した時にはもう、既にたくさんの人々が思い思いの時間を楽しんでいた。
海で見る水着姿の人の群れと違って、こういう山の中でみる水着の人々って、何だか不思議な感じがする。
National Parkへの入場料は、1人1日Q50。
思ったよりも高いなぁなんて思いながら、中へと足を踏み入れていくと、早々に目当ての河棚が2人の目の前に姿を現した。
村の子供に手配してもらったAM8:30のPick Up Truckに乗って、山奥の景勝地「Semuc Champei」へ移動。トラックの荷台に荷物と一緒に乗っかって、太陽の光を身体いっぱいに浴びながら、ジャングルの中をぐんぐん奥へと進んでいく。
5時間の“秘境バス移動”の末に辿り着いたCobanで簡単な食事を済ませると、その脚でそのままさらに次のミニバスへと乗り継ぎ。更なる未舗装道路を1時間半くらい移動すると、ようやく今日の目的地「Lanquin(ランキン)」へと到着した。
グアテマラを旅していると、常識を疑うような光景がたくさんある。
安全面についてのストライクゾーンが広すぎる。
死んでなきゃOK的なところがある。
AM5:00発のCOBAN(コバン)行きミニバスに乗って、グァテマラの山深い道を、再び東へ向けて移動開始。
まだ夜が明けきらない真っ暗な世界の中、壊れそうなワイパーで窓にかかる小雨を拭き取りながら、2人を乗せたToyota HIACEは、それでもいつもよりは安全運転なドライビングで、何処までも連なる峠を1つ1つ順調に越えていく。
(とはいえ、相変わらず特大の“落石”たちが道の途中にゴロゴロしていたけど…。)
Lavanderia(ラバンダリア)とは、スペイン語でLaundryのこと。
1日出発が延びたから、Jは溜まってきた洗濯物をLavanderiaへ持っていくことにした。
Mが食あたりのような具合になってしまい、急遽、今日の出発は延期することに。
昨日の夜に食べた「マッシュルームスープ」が悪かったのだろうか…!?
宿の近くの食堂で朝食をとっていたら、何だか外が騒がしくなってきた。
何だろうと思って顔を外に出してみると…、あれ!?何だ、ここでもまた「子供パレード」やってる!??
ミニバスを乗り継ぎ・乗り継ぎで、HuehuetenangoからNebajへ移動。
2台目のバスは比較的でかくて乗り心地も良かったけど、3台目は客の詰め込み過ぎで、乗っていて「息苦しい」くらいだった。
市場を見た後は、ターミナルから少し離れたところにある「町の中心」へとローカルバスで移動。降りたところのすぐそばで、またまた「子供パレード」が開催されてた。
昼過ぎに村を出発して、チキンバスでHuehuetenango方面へ
時間帯的に直通バスがなかったから、途中「トレスカミノス」で乗り換えをして、そこからはミニバスに乗って山を越えることとなった。
トドスサントスは、男性の民族衣(ウイピル)が見事なことで有名な村。
普段から常にこの衣装を着ているのだろうが、今日は市場が開かれていることもあり、広場と教会の周辺には、スゴイ人数の「男衆」が自慢の衣装に身を包んでやってきていた。
朝、7時過ぎに宿のベッドを起きだした2人は、素早く着替えを済ませて市場の方へと歩き出した。
昨日は夜、雨の降る中、ヘトヘトになった心と身体でこの村に到着したため、村の雰囲気を掴むどころじゃなかった。
Huehuetenangoバスターミナル傍の市場を一通り見学したあと、再度宿に帰っておやつ休憩。そこでこのあたりの村々の地図を確認している時に、思わぬことに気が付いた。
朝9:30頃にTaka Houseを出発して、ミネルバ・バスターミナルから移動を開始。
バックパックを持った状態でチキンバスに乗るのは今日が始めてだから、実はちょっと不安があった。その不安の要因となっているのは、移動中の荷物の管理について。
朝、いつもより少し遅めの朝食を食べた後、2週間お世話になったホームステイ先の「Gladys邸」に別れを告げる2人。
登山口から先は なだらかな山道になっていて、足場もそれ程悪くないからハイキングには丁度よい感じ。そんな登山道を40分くらいゆっくりと登っていくと、途中に「サンタマリア山頂」への道と「展望台」への道の分岐点が出てくる。そこを右へと進んでいって、アップダウンを繰り返しながら更に上へと登っていくのだが…上へ上へと進むにつれて、どんどん雲が近づいてきた!?
2週間限定の「学生生活」もようやく終わり、今日からまた宿題のない自由な生活に。
さっそく朝早くに家を出て、まずはTaka Houseへと移動。そこで徳さん&教授(メキシコシティーのペンションアミーゴで出会ったおじさん。ここで再会した。因みに、教授というのはあくまで“あだ名”で、本当に教授なわけではありません。“オオツキ”という名前なだけで…。)と合流して、AM6:30に「サンティアギート火山見学」へと出発した。
バスを降りたところが目的の公衆浴場「Banos San Silvestre」の目の前で、到着後すぐに受付にてCheck Inn。タイミングよく浴室が一部屋空いていたから、寒空の下で待たされる事なく中に入ることができた。
Xela(シェラ)近郊には、たくさんの温泉地が点在している。
そのひとつ、「LOS BANOS(ロス・バーニョス)」という温泉街で、日本を出て以来、久しぶりの「湯船」につかってきました。
ホームステイ先にいる猫のペルーチェ。
こいつが本当に人懐っこくて、食事の時なんか、どかしてもどかしても、必ず誰かの膝の上に乗っかろうとしてくる。
授業が終わった後、「今日の復習」と「宿題」をするため、ホームステイ先の近くにある「Cafe Luna」へ。店の中の雰囲気が良くて、落ち着いて勉強ができる。
次に訪れた「サンマルティン・サカテペケス」は、男性の民族衣装が見所の村。
日曜市自体は非常に小さなものだったけれど、周囲を山に囲まれた村の佇まいは一見の価値あり。標高が高いこともあり、山に雲がかかっていく様は、非常に幻想的な風景である。
ようやく一週間の講義が終わり、今日と明日は週末で学校はお休み。
でも、この前の遠足と同じような「課外授業」として、今日はみんなで朝から手作り餃子をつくってきました。
タカハウスの番犬、ボビー。
ここに来る前から、「タカハウスにはよく吠えるイヌがいる。」という噂は何となく聞いていたのだが、実際に出会ってみると、このボビーが本当によく吠える!?
グァテマラのエコノミーバスは、全てこの「Chicken Bus」と呼ばれるスクールバスの形をしたタイプ。2人もグァテマラ入国以来、よく目にしてはいたのだけれど、実際に乗ったのは今日、この「シェラへの帰路」が初めて。ドキドキとワクワクを半分づつくらい感じながら、ついに実地体験してきました…。
San Juanでサユリさんに別れを告げたあと、桟橋から小さなボートに乗込んだ一行が次に向かったのは、湖畔沿いに2~3kmほど離れたところにある「San Pedro la Laguna(サンペドロ)」という、サンペドロ火山の麓に位置する村。
今日はグァテマラでは「Dia de la Maestora(教師の日)」というものらしく、全ての講座がお休みとなった。
そのかわり、タカハウス名物の「課外授業」と称した、生徒と宿泊客のための「遠足」が開催され、もちろん2人もそれに参加してきました。
昨夜、22:00発の夜行バスに乗って、まずは首都グァテマラ・シティまで移動。
AM6:00に到着した後、更にAM8:30発のバスへと乗り継いで、PM1:30に今日の目的地であるXela(シェラ)に到着した。
ようやく、「ティカール遺跡」に入れました…。
AM6:00のコレクティーボに乗って、2度目のティカール・エントランスへ。
今度は忘れず持参したQ150の入場料を支払い、無事に園内へと足を踏み入れたのです。
この担当者を信じてみるつもりになった2人は、約束の時間の「5時」に再び宿のロビーで待機。ここでも更に待たされながら、ようやく戻った担当者の口から出た「答え」は…
2人の乗った地元民用のコレクティーボ(相乗りミニバス)がFloresに到着したのは、AM8:00を少し過ぎた頃くらい。
正直、あんなに早く起きたんだから、誰かからお金を借りてでも入場してしまう、という選択肢もあったんだとは思う。(時間が限られた旅であれば、そうする可能性の方が高いかもしれない。)…でも、あんな扱いを受けた後で、その添乗員の説明を聞きながらツアーに参加するなんて、やっぱり2人とも納得できなかったのだ。
久しぶりに、トラブルが発生しました。
舞台は、マヤ文明の最重要遺跡の1つ「ティカール」にて。
Belize CityからFloresまでは、メキシコ国境と同じようなミニバスでの移動となった。
明日、Caye Caulkerを発つことにした。
いつまででもいられそうな快適さに捕らわれてしまいそうだから、そろそろ自分たち自身で区切りをつけないと…。美しいカリブの海と、緩やかに流れる「島時間」に名残惜しさを感じながらも、次の町へと動き出すことに。
Little Parisのお気に入りのCakeが復活!
今日のは焼きたてだったから、あったかくてフワフワの食感がまた素晴らしかったです。
砂でできた道を歩くのって、何だかとってもいい気分。
舗装された道路にはない、地面の、地球の温かみが伝わってくるような感覚がある。
日が落ちて、空に滲んでいた「赤」が消えてしまうと、今度は徐々に、夜の闇に溶けていってしまいそうな「蒼」が目の前の世界を包みこんでいく。
プールの様な穏やかな浅瀬には、たくさんの魚たちが人々と一緒に泳いでいる。
そんな魚たちとの追いかけっこを楽しんでいると、いつの間にか、本当にあっという間に時間が過ぎてしまっているのです。
この島に到着した時、メイン通りに並ぶツアー会社の看板を見ていてビックリ。
どうやら、ここの海に潜ると、野生のマナティーに出会うことが出来るらしいのだ!?
島じゅう、どこにいっても、イヌたちがカワイイ姿を見せてくれる。
そんなイヌたちの生活ぶりを少し。みんな海と太陽を満喫しているの…かな?
ベリーズシティに到着すると、すぐに船着場へと移動して、ボートに乗って更に移動。
今日の目的地であるCaye Caulker(キー・カーカー)へは、AM10:00頃に到着した。
まだ夜も明けきらない真っ暗な夜道を進む小さなバスの中には、2人の他に、アメリカ人らしき旅行者が2人と、メキシコ人カップル、国籍不明のおばさん2人組とベリーズ人っぽい黒人の男が1人乗っている。
そんな多国籍メンバーを乗せたバスのシートに揺られながら、この先に待つ国境について考えてみると、正直、少し不安が無いわけでもない。
昨夜CANCUNを出発した夜行バスが国境の町「Chetumal(チェトゥマル)」に到着したのは、早朝のAM4:30。チケットを買った時には7時着だと聞いていたから、最初バスが停まった時にはトイレ休憩と間違えてしまった。
カリブ海に浮かぶ、全長8kmの小さな島。「Isla Mujeres(イスラ・ムヘーレス)」は「女の島」という意味を持つ、カンクンからのデイトリップで人気の観光スポット。
昨日、遺跡探検の後パンチャンに戻り、林夫妻の借りている部屋でシャワーを浴びさせてもらってから、夕方になってパレンケの街へと移動。予定よりも2時間遅れでターミナルに到着したバスに乗込み、PM10:00になってようやくCANCUNに向けて出発した。
森の中に、忽然と姿を現す巨大な遺跡群。
「Palenque(パレンケ)」は世界文化遺産にも登録されたマヤ文明古典期後期を代表する遺跡である。
上流での癒しの時間を過ごした後、下流へと歩いている途中で地元っ子たちの「ターザンジャンプ」エリアに遭遇。あんまり楽しそうだったから、2人で体験させてもらってきました。
最後に、ツアーは今日のメインとなる場所「Agua Azul」へ。
ここは透き通るような美しい水が流れる清流で、小さな滝が段々と連なるその河の流れが、この場所をとても特別な景観にしている。
集落の中にあるTravel Agentでツアーに申し込み、「Misol Ha(滝)」・「Agua Clara(乳白色の河)」・「Agua Azul(小さな滝が連なる清流)」を巡ってきた。
朝、宿でいつものように朝食を食べて、午前中の内にバスターミナルへ。
その場でAM11:20発の「Palenque(パレンケ)」行きバスのチケットを購入して、ようやく、10日ぶりの移動となった。
この町とも、このHostelとも明日にはお別れ。この町の空気を胸いっぱいに吸いこんだら、次はいよいよ、地獄の熱帯夜が予想されるパレンケ遺跡へと移動する。
次に、かなり大きめな規模のツォツィル系先住民村である「サンファン・チャムラ」へ。
ここは村の大きさもさることながら、市場の規模も今までの村と比べると格段に大きい。サンクリから比較的近い距離に位置していることもあってか、観光客の姿も多いようだ。考えてみると、昨日から訪れた他の3つの村では、自分たち以外に観光客を見ることがなかった。だから、余計に2人ともどこか「身構えて」しまうところがあったのだけれど、それでも、その方がより強い印象をもってその村々の特徴を理解できたような気がする。
この村は、今日見た限りの印象ではかなり観光ずれしてしまっていて、村独自の特色のようなものが表面的には見えずらくなってしまっている気がした。(わたしたちは本当に少ない時間滞在しただけだから、もっときちんと彼らのことを見れば、それが分かってくるのだと思うけど。)村の土産屋の「押し」もかなり強くて、静かに村の中を歩きたくても、あまりそういう状況ではないのだ。
ただ、こうして昨日・今日といくつかの村を歩いてきた中で、もっと彼らのことをきちんと知りたいという思いはどんどん強くなってきた。あまりにも何の知識もなくこの地を訪れてしまったのが、本当にもったいない。とはいえ、これからでも遅くはないだろう。気がつくことが出来ることが、大切なことだとも思うから。
昨日と同じ時間に起きて、今日は日曜市巡りに出掛けてきました。
朝一番で訪れたのが、サンクリから30分程の距離にある「シナカンタン」という名の村。
ナチグ村から1度サンクリストバルまで戻り、そこから更に乗合タクシーを乗り換えて(乗合タクシーはそれぞれ行先が決まっている。)居眠りしながら1時間半。次に2人が訪れたのは、「サンファン・カンクック」という先住民村。
サンクリストバルの周辺に点在する先住民村では、週末にティアンギスが開催されるところが多い。
しかも、これがほとんど午前中に集中していて、「AM10:00には終了。」なんてところも結構あるため、見に行く為には早朝出発が必須なのである。
週末の先住民村ティアンギスに訪れるため、朝、空が白み始めた頃に出発。日中は太陽に照らされて暑くなる町の空気も、この時間はまだ夜の冷気を漂わせている。長袖シャツの上にパーカーを羽織っても、まだ寒さが身体に染み入ってくる。そんな凍える空気の中、バス停がある市場周辺の人々は、すでに活気に満ち溢れていました。こういう人々の営みや、後ろに広がるきれいな朝焼けを見ることができるのも、早起きした人の特権ですね。
様々な先住民村の民芸品が集まっているだけあって、町には魅力的な小物たちがいっぱい。
路上や店からの誘惑に負けて、ここでもやっぱり2人は「買い物」しちゃいました…。
朝起きて、朝食(自炊)の「ゆで卵&フルーツ」を食べていると、外から何やら楽しげな楽器の音が…。
急いで身支度を整えて、カメラを片手に宿の外へと飛び出してみると、こんなカワイイ、子供たちばかりの仮装行列が行われていた。
渓流くだり終了後には、付近の村で1時間程のフリータイム。とにかく腹がへっていたから、4人で屋台の特大ハンバーガーに挑戦してみました。(っていっても、2人で1個。節約にもなるし。)バーガーもおいしかったけど、ビールがまたウマイ!!やっぱり、暑い日の真昼間に飲むビールって、最高っすね。
13時間のバスの旅を終え、サンクリストバル・デ・ラス・カサス(通称サンクリ)に到着。
今日、「11日」という日に海の見える場所に居られた事に感謝しつつ、下手な三線で唄う「島唄」を、この、日本へと続いている広い海の何処かにいる大切な人に捧げます。
午前中にビーチでひと泳ぎして、午後からマスンテの町をお散歩。
途中Mは道端に咲いていたハイビスカスを髪飾りにして記念撮影してみたり。
すると「蜂」がその花に寄ってきて、2人でドタバタしたりなんかして…。
でも、やっぱり陽が高いうちは、暑くてそんなに歩き回れないです。
ブラブラと畦道を流していたら、海で冷やしたはずの身体が、あっという間に熱を帯びて、シャツの下は汗だくになっている。
道行く人々がみな「水着」や「上半身はだか」で歩いているワケがよくわかる。
こう暑くっちゃ、服を着る気にもなれないですもの…。
そんな中、途中何件目かの商店でようやくアイスをゲットして、太陽に照らされて解け始めるところを負けじとむさぼり食うJ。ある夏の日の「少年」のような風景です。
そんな感じで、今日も相変わらず「のんびり」ですね。
ようやく決めた宿にCheck Inを済ませ、「ちょっと一眠り」するつもりが、起きたときには時計の針は3時をまわっていた…。
通り慣れた、ペンションアミーゴ周辺の街並み。
このRevolucion駅界隈に別れを告げ、明日、次の町「Oaxaca(オアハカ)」へ向けて出発することになった。
TaxcoからMexico Cityへ。
この美しい街並みと居心地の良さに後ろ髪をひかれながらも、「お仕事」の為にアミーゴへ戻らなければならないのです。それにしても、これだけ同じ宿(アミーゴ)に長居していると、もう何だか「家」に帰るような心境になってくる。長期の宿泊客が多いし、ちょっとしたアパートのような感じ。
それでも、少し離れて帰る度に、メンバーは少しづつ変わっていっているのです。あくまでも「宿」だからね、実際。
2人はいつ、次の町へと旅立てるのか…とにかく、それも明日の撮影次第でしょうか。
念願の彫金体験を、2度目のTAXCOで実現することが出来ました。
(店のオリジナル商品情報などHP:http://panchita.shop-pro.jp/ )
とても落ち着けるCAFÉ。今日だけで2回お邪魔しました。ソカロのすぐ近くにありますので、みなさんも是非。日本食も食べれますよ。
今回の宿は、ペンションアミーゴにもよく顔を出す日本人の「タニさん」が経営するCasa Cien Anos(カサ・シエン・アーニョス)。
1泊2日でMexico City近郊のTaxco(タスコ)へとショート・トリップ。
昨日BEDでのたうちまわっていたのが一晩明けたら旅に戻ってるんだから、まったく、元気なんだか病弱なんだか…。それでもあまり無理はせずに、ゆっくり、慎重に事を進めることにはしましたが。
Taxcoまでは、Cityの南バスターミナルから約3時間くらいの道のり。いつもの様にバスの中で流れるスペイン語吹替え版ハリウッド映画をぼんやり観ながらうたた寝していると、あっという間に目的地に到着してまう。
ここは「シルバーラッシュ」時代にスペイン人によって造られた、コロニアル調の古い町並みが美しい高原の町。銀鉱脈が枯れた後は一時衰退してさびれたが、今ではその美しく静かな町のたたずまいが外国人に注目され、Mexico City近郊の観光スポットとして再発展している。
そして、この町はその「銀製品ショップ」の多さでも有名で、毎週土曜日には青空シルバーマーケットが町中に軒を連ねるのだ。今日、病み上がりにも関わらず2人が苦手の朝早起きをしてここまでやって来たのは、実はこの土曜限定マーケットを散策するためでもあるのです。
Mexico Cityの北バスターミナルからバスに乗って、迫力の世界遺産「テオティワカン」へ。
アミーゴの住人さん情報により、こちらの携帯電話CM「日本人役」オーディションにみんなで参加することになり、今日、その選考会場へと行ってきました。
中南米といえば、「日本人宿」。今日から数日間お世話になるここ「アミーゴ」が、2人にとっての最初の日本人宿となった。
日本各地からの旅人たち(&住人)はそれぞれにとっても個性的で、教えてくれる情報も、かなりマニアックな領域に達している。話を聞きながらノートに書き留めるんだけど、内容があまりに多岐に渡りすぎてて、後から見たら書いているメモを解読するのに一苦労な状態…!?? でも、こういう場所で得られる「生」の情報っていうのは、体験した人から聞く分だけ臨場感があって本当に面白い。もちろん、先人たちの残していった「情報ノート」もかなり充実しているので、これからの旅のプランをここでもう一度練りなおしたいと思っています。中南米って、やっぱり何かと奥深いですね。廻るの時間かかりそうだな…。
朝、起き抜けのリョウくんに借りてた本を返しつつ別れを告げ、この町とも今日でお別れ。
次に向かうのは、860万人(都市圏までふくめると2,000万人以上!?)の大都市、メキシコシティです。ここでは色々とやらなければならない事(!?)もあり、しばらく滞在する事になりそう。ルチャリブレも気になるし、サッカーではあのスタジアムも…。
Guanajuato最終日。リョウくんの語学学校仲間たちと、TRUCO7というレストランで夕食をご一緒させてもらいました。
Guanajuatoの町は、Colorfulな建物に挟まれた細い小道が入り組んでいて、歩いていると何処かのWonderlandに迷い込んだかのよう。
Guanajuato到着。ここでの宿泊先は「Casa Schoenstatt」というHostelで、地球の歩き方にも載っている宿。ここがとっても気持ちの良い宿で、料金も個室をドミと同じ値段($120/1人)で貸してくれたし、ホールに置いてあるコーヒーやミネラルウォーターやトーストが飲み放題の食べ放題!!共用部分になっている中庭やテラスにはソファーや椅子が置いてあって、Free Coffeeを飲みながら日陰でのんびり寛ぐこともできる。全体的な建物の開放感が、中に居てとっても気持ちがいいのです。宿の建物の後ろ側にはピピラの丘が迫っていて、斜面にへばりつく様に並んだカラフルな家々をテラスから一望することができる。宿の人たちもとっても親切そうだし、こういうところに泊まれると決まると、町に出る前からもう、何だか長居したくなってきてしまいました。
早朝にGuadalaharaを後にして、街から10km離れた所にあるターミナルから長距離バスに乗りこみ、次の町「Guanajuato(グアナファト)」へと移動した。
前回、ヨーロッパの旅の時にはJは一度も髪を切らなかったのですが、今回はずっと、この「坊主あたま」で通す予定。
チャレアーダ観賞後、そのまま別のバスに乗って、グアダラハラの11km東にあるTONALA(トナラ)という町へ行ってきた。ここは陶器の産地として有名らしいのだが、お目当ては毎週木・日曜日に開かれている青空マーケット。近郊の先住民などが工芸品を持ち寄るこの市で、2人も久しぶりに「お買い物」してきた。
町に到着すると、まずその露店の多さに2人とも圧倒されてしまった。道の両脇にお店(路面店)が並んでいるのだが、更にその前の歩道に、テントを張った露店が何百メートルもにわたって軒を連ねているのだ。付近にある空き地というか、広場の中にも溢れんばかりの露店がずらり!どこをどう見て廻ればいいのか、逆に見当がつかなくなってしまうくらい。リベルタ市場なんかよりずっとずっと迫力があるし、「青空」市なのがまたいい。
あてもなくあっちへこっちへと歩き回って、途中に見つけたアクセサリー屋台でMは木の実で作られたネックレスを購入。2つで$120(¥1200)でしたが、かなりお気に入りの一品でした。
食べ物の屋台も色々美味しそうなのがあったんだけど、2人は朝リベルタ市場で買ってきたサンドイッチ弁当をもっていたので、ここで買って食べたのはかき氷だけ。果実入りのイチゴシロップとミルクをかけたかき氷が、照りつける太陽の下では格別に美味しかったです。
夜行バスでの移動でお疲れ気味のヤスくんを宿に残して、2人で夕方の町の中へ。明日にはここを発つ予定だから、これが最後のZacatecasの夜になる。
朝、Mがいつもの様に広場にヨーグルトを買いに出掛けたところで、一人の日本人と遭遇しました。ヤス君というその旅人は、1ヶ月のMexico滞在の途中でこの町に日帰りで寄ったところ、到着直後の朝にたまたまMと行き会ったのです。
今日も朝から広場のおばちゃん特製ヨーグルトを2人で分けあい、洗濯物やら何やらをやっちまったあとに町へとお散歩に出掛けてきました。
午前中、少しだけ町を探索した後に、1度宿の部屋へと戻って、夕方前までシエスタTime。
実際Mexicoではシエスタの習慣があるからPM2:00~4:00くらいは店もお休みしてたりするんだけど、それよりなにより、バス移動での疲れがあるから、2人とも、とにかく眠い!
Bedに横になるや否や、速攻で眠りについてしまったのです。
そんな気持ちの良いお昼寝の後、PM3:30頃にゴソゴソとBedを起きだしてきて、そこからまたゆっくり街へと繰り出した。
Zacatecasは、その中世ヨーロッパをも思わせる美しい街並みが歴史地区として世界文化遺産にも登録されており、かつてはMexico随一の銀鉱として栄えた山間の町(高度2496m)。でも、ただ美しいばかりの町ではなくて、一歩中心から出ると、そこでは猥雑な下町的雰囲気も感じさせてくれる。街全体はどことなくMorrocoのそれと似た匂いを感じさせるところがあり、でも商人たちはそれ程しつこくもなく、接した時にはとても親切。そして、何といってもここはMexico、食堂や屋台に並ぶ料理の数がとっても豊富で、どれも日本人好みの美味しさなのが嬉しい!
今日もTacosやチキンのスープなど何点か食したけれど、どれもほんと、美味しかったですよ…あっ、いや、たまにアレ!?って味のもあるけど、美味しい料理が多いです。
結局19時間かかることになった今までで最長のバス移動の末に、ようやくMexicoで最初の宿泊地となるZacatecas(サカテカス)へと到着した。