「Seven Colored Hill。」
正直、ここで紹介する下手な写真では、この場所で見る事が出来る本当の山々の色合いを表現できてはいないと思う…。
正直、ここで紹介する下手な写真では、この場所で見る事が出来る本当の山々の色合いを表現できてはいないと思う…。
Purmamarca(プルママルカ)へは、Tilcara(ティルカラ)のバスターミナルからローカルバスを捕まえて約30分くらい。
Tilcaraの周囲には、アメリカの西部でも見られるような“ビッグサンダーマウンテン的”山々が迫力ある姿を見せてくれている…。
Argentina | Bolivia | LATIN AMERICA
昨日の夕方、Uyuniの町に戻った2人は近くのホテルでシャワーだけを浴びさせてもらい、その後簡単に夕食を済ませてしまうと、その日の夜発の列車に乗ってチリ側とは別の国境を目指して出発した。
国境で車を乗り換えると、とりあえず昨日の宿泊地であった「Laguna Cororado」までもと来た道を戻っていき、そこから先は往路とは全く別の道を通ってUyuniの町を目指すことになったのだけれど…。
温泉から上がって目の前の食堂施設でヨーグルトとパンのたっぷりとした朝食を食べた後、更に南へと移動をしていき、7人(&ガイド)は遂にこの3泊4日UYUNI Tour最後のStop Pointとなる「Laguna Verde」に到着した。
AM4:30に鳴らした目覚ましの音と共に、それぞれのベッドからのそのそと這い出て出発の仕度を始める7人。
今日はAM5:00にここを出発することになっているのだが、実際この時間に起きてみると外の世界はまだ完全に闇に包まれてしまっている。
今日の最終目的地:「Lake Cororado」に到着したのは、夕方5:00前後くらいだっただろうか。太陽もだいぶ傾いてきており、徐々に空気が冷たくなってきているのが分かる。
車の窓の外にこの湖が見えてきたとき、まず驚かされたのがその水面を覆った「紅色」の見事さである。
2つのフラミンゴたちの湖を見学した後も、6人の日本人と1人のアメリカ人を乗せたJeepは砂埃をまきあげながら砂漠の大地をひたすら走り続けていく。
そして、その先の砂地の中にまた突然に見えてきたのが、こんな巨大な岩々が“落ちている”不思議な魅力をもった風景であった。
火山の観測を済ませた後も、さらに凸凹度を増した荒野を車はひたすら走り続ける。
そして、行く手の斜面に大きな石がゴロゴロと姿を現してきた辺りで、ガイドが
「ここでみんな行ったん降りて、あの山の向こうまで歩いて行ってほしい。」 と、
思いがけない自然派な、それでいて大雑把な順路を発表してきたのである。
パンケーキがついた豪華な朝食を食べ終えると、昨日と同じランクルに乗って、昨日と同じガイドの運転で砂漠の道をさらに南へと移動していく。
今日泊まる宿は、塩湖がほとんど土にかわって、その白さがかなり薄れてしまった辺りの湖畔とでもいうべき場所の高台に建つ古い施設。
見た目はかなり「ボロ」なこの宿も、中に入って良く目をこらしてみると、何とこれまた全ての壁や床やベッドやテーブルが全て塩で出来た「塩ホテル」だったのである。
予定時刻を少し過ぎたPM1:00頃になって、ようやく2人が合流するTourのJeepがPlaya Blanca(ホテル)に到着した。
朝、山と大地の向こう側から日がゆっくりと昇ってくるのを2人で静かに眺めた後、ホテルの部屋に戻ってからは、なんとなく特にする事もなくて、2人ともベッドの上で横になっている内にいつのまにやら眠りに落ちてしまっていた。
明け方、AM5:30にセットした目覚まし時計で目を覚ますと、昨夜の内に用意しておいた防寒装備(ダウンジャケットなど)を身にまとって薄暗い空の下へと飛び出していった。
ホテルの部屋から外に出てみると、さっきまであんなにも強烈な日差しで肌を焦がしていた太陽の威力も大分弱まり、辺りはすっかりひんやりとした夕方の空気に包まれていた。
まっ白い“塩の世界”のど真ん中にポツンとたたずむその小さな平屋建てのホテルの外に腰かけて、あらためて目の前の風景に目と耳を傾けてみる。
昨日の夕方、バスが到着すると同時に声を掛けてきた客引きのお姉さんに連れられて行ったTravel Agencyにて、そのまま勢いで今日からのTourの手配をしてしまった…。
宿(KOALA DEN)の朝食をたっぷりと腹におさめて、準備を済ますとTaxiに乗り込んでUYUNI(ウユニ)行きのバスターミナルへと移動した。
POTOSIの町の後ろにそびえたつ「Cerro Rico(富の山)」と呼ばれるその鉱山に向けて、
13人のツアー客がミニバスに乗り宿を出発したのがAM8:00を少し過ぎた頃。
そこからまず、町外れににあるTour 鉱山夫用の倉庫に寄って、全員お揃いの鉱山服に着替えることになる。これが着てみるとかなりテンションが上がってくるもので、まるで自分が本当に“鉱山の男”であるような気がしてくるから面白い。
午後、町を歩いている散歩のついでに、遠くの視界に見え隠れしている「ミラドール(展望台)」へと足をのばしてきた。
LaPazを出発した旧式の夜行バスがPotosiのTerminalに到着したのは、早朝のAM6:00頃だっただろうか。
これまでの町と同じように朝の空気はひんやりとしていて、バスを降りた途端に2人とも眠気がすっかり冷めてしまった。
今回ここLaPazで泊った宿の周辺には、本当に奇妙なものを売るお店が密集していた。
その中でも特にパッと目を惹く商品は、やはりカピカピに干からびてしまった“元リャマ”のミイラ体だろう。
昨日、博物館を出てから宿に戻る道すがらに開いてるお店を冷やかしていたら、Mが急に“Sellos de Goma”と看板に書かれたお店の前で立ちどまってしまった…。
先日、コパカバーナからラパスに向かう途中で見た“Parade”の一行が、町の至る所を占拠するように埋め尽くしている。
そんな“非日常的”なラパスの町を歩いてみるものの、普段の日と違ってこんな日には休んでしまっているお店や施設が多いらしくて、思った様な街歩きの手応えが感じられない。
La Pazの町のお祭りに参加した後、急いでコレクティーボを捕まえて、30分ほど行った郊外に広がる巨大市「El Alto」へと向かった。
AM7:00発のバスに乗って、ボリビアの首都;La Paz(ラパス)を目指す2人。
本当はもう少しゆっくりとした時間のバスに乗るつもりでいたのだけれど、急きょ予定を変更して、早朝のバスに乗り込んだのだ。理由は、“今日が日曜日”だったって事!?
“太陽の島”行きフェリーは、Puno(ペルー)からのツアーで乗ったものよりもかなり“簡易的”なつくりのものであった。しかも速度がやたらと遅い!?
地図上ではそんなに遠く見えない「太陽の島」に行くのに、往復3時間かかるという理由が、走り出してみてようやく理解できたのです。
Bolivia | LATIN AMERICA | Peru
ペルーから、ボリビアへ。
ここでの国境越えは、チチカカ湖を横目に眺めながらの開放的な雰囲気で行うことが出来ました。
アマンタニ島から目の前に見えていたタキーレ島への移動は、それでも思ったより時間がかかったような気がする。
ボートも遅かったが、目測での距離感も読み違えていたのかもしれない。
昨日の夜は、とっても楽しい「島の夜」でした。
カレーの様な味のするベジタブルディナーを3人(スペイン人の大学教授“ミゲル”と一緒に)で楽しんだ後、Angelaに勧められるがままに民族衣装に着替えさせられ、いつのまにやらこんな姿に…。この衣装を着ると、体系的にもどこか島民たちに近くなってくるみたいだ。
昼を少しまわった頃、ボートは目的地「Amantani(アマンタニ島)」へと到着した。
ウロス島を出発してから、ここまで約2時間半くらいはかかっただろうか…。
ほとんど波のない湖面を、ゆっくりと滑るように移動するボートの上で何だか気持よくなってしまって、2人ともいつの間にやら眠ってしまっていたらしい。
その島々が目の前に現れた瞬間に、どこか異空間に迷い込んでしまったんじゃないかという錯覚に陥ってしまった…。
それくらい、この草で出来ているという浮島のインパクトは2人にとて強烈だったということ。こんな風景、まったく想像してなかったなぁ。
ボートが港を出港してすぐに、Punoの陸側から見ていたチチカカ湖が本当のチチカカ湖ではなかったという事が分かった。
宿で貰った地図の脇に乗っていた写真の場所に行きたいと言ったら、「今すぐにTourがでるから、そのバスに乗ったらいいよ。(ホテルのフロント係談)」って…。
早朝AM5:00にターミナルに到着したバスを降りると、そのまま客引きに来たTAXIに乗り込んで、今日泊まる予定の宿「Hostal Manco Capac Inn」へと向かった。
クスコ最後の日の空は、今まで見たこともないくらいにくっきりと晴れ渡っていた。
最後の最後に、ようやく“晴れのクスコ”を見る事ができたのがとても嬉しい。
夜行バスの出発時間はPM10:00とかなり遅め。
なので、昼前に荷物を部屋から出した後、それをそのまま宿で預かってもらって、火曜日に市が開かれているという「PISAQ(ピサック村)」を訪れてきた。
昨日の夜、宿に帰ると、数日前にここを出発する時にもただ一人の同宿人であったコウタロウ君がいつものダイニングの椅子に座って2人の事を迎えてくれた。
昼過ぎ、PM2:30発の列車(Back Packerクラス)に乗って、Aguas Calientes(マチュピチュ村)からOllantaytamboへ。充実したマチュピチュ紀行も、遂にこれで終焉に近づいてきたわけである。
Huayna Pichu(ワイナピチュ)から下山した後、ツアーガイドから渡されていた“ランチBOX”でお腹を膨らませ、遺跡の中を歩きながら少し身体と心をリラックスさせる。
そして、お昼を廻る少し前に、今度は「マチュピチュ山」登山をスタートした。
Huayna Pichu(ワイナピチュ)への整理番号をもらった後は、そのままその列に並んで入口前で待機。そして、入口の扉が開いてからも1人1人に記帳作業が必要なため、実際に入山できたのは大分時間が経ってからのことであった。
AM4:00起床。
昨日までのトレッキングによる疲れも溜まっているから“スッキリと”目覚められたわけではないけれど、今日の為にここまで来たのだから寝坊するわけにはいかない。
両サイドをワイナピチュとマチュピチュ山に挟まれたマチュピチュ遺跡の、ほぼ正面という位置にそびえたっているのが、プトゥクシという名の山である。
3日目。~10月10日(金)~
今日は最後の20kmの道程を歩いて、遂にAguas Calientes(通称:マチュピチュ村)に到達する予定の日である。
2日目。~10月9日(木)~
今日はSanta Maria村からSanta Teresa村までの山道24kmをトレッキングで進んでいく。
出発の朝。天気はやはり、昨日までと変わりのない「どんより曇り」であるらしい。
AM7:30に宿に来る“迎え”に間に合わせるため、早めに起きて最後の荷造りとチェックアウトの事務手続きを済ませる。
予定では、午前中に近郊の村「PISAQ(ピサック)」の火曜市を見に行き、午後にクスコの町に戻ってきて「MACHU PICHU行き」を検討するつもりだったのだが…。
AM8:00過ぎにターミナルに到着したバスを降りると、辺りはグッと冷え込んだ空気に包まれていた。朝であることを考えても、昨日までとは随分気候が違うようだ。
昨日よりも少しだけ早めに動きだして、今日もまた、2人は夕暮れ時のMirador(ミラドール)へと向かった。
Check Out時間ギリギリに宿を出て、昼食を食べた後にこんな優雅な(!?)Poolにて、午後の暑い時間を涼やかに過ごしてきました。
夕方、TAXIを往復料金でチャーターして、NAZCAの町から15kmほど離れたところにあるMirador(ミラドール)へ。
フライト時間の40分は、まさにあっという間と言う感じだった。
3人乗りというとても小さなセスナ機の機体に最初は少し不安も抱いていたけれど、飛び立った瞬間からもう、その機敏で快適な大空の旅に2人ともすっかり夢中になってしまった。
まわりが少しざわついていたからだろうか、なんとなく目を覚ましてしまい、窓の外を見てみると、バスがちょうどNAZCA(ナスカ)のターミナルについたところだった。
朝食は宿のテラスにあるカフェで「Continental Breakfast」を注文。
パンと卵&コーヒーで身体をあたためてから、小雨降る肌寒いリマの町へと出掛けてきた。
バスは早朝AM5:30頃にLima(リマ)のバスターミナルに到着した。
まだ夜も明け切っておらず、肌寒い、それでいて乾燥した空気が辺りを包みこんでいる。
居心地の良かった“Caroline Lodging”とも今日でお別れ。
首都:Lima(リマ)へと向かう夜行バスでの移動に備えて、今日は町で買い物をした以外は、ほとんどの時間を宿の中で過ごしていた。