Hebron(ヘブロン)の町を離れ、午後からはBethlehem(ベツレヘム)を訪れた。この町の外れには、パレスチナ自治区を取り囲む「分離壁」が巡らされており、イスラエル側から中に入る時は全く問題ないのだけれど、逆に町からイスラエル側に戻る場合には、壁のある地点に設置された“Check Point”を通らねばならず、人々はそこでパスポートの確認など、厳しい審査を受ける事になる…。
第二次世界大戦時、ナチスドイツによって虐殺された600万人のユダヤ人たちを、慰霊する目的で建てられた博物館「Yad Vashem(ヤド・バシェム)」を訪れてきた。
イスラエルの首都であり、それ以前に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの宗教にとっての聖地である街、Jerusalem(エルサレム)。頭が焦げそうなくらいに強く照りつける太陽の下、涼やかな日蔭を創り出してくれる旧市街の路地を選んで、地図を片手にとにかくひたすら歩き回る…。
Western Wall。日本では“嘆きの壁”と呼ばれるこの巨大な石壁の前に集まる今まで見た事もないほど大勢のJewish(ユダヤ教徒)たちの姿とその場の雰囲気に、ただもう、圧倒されてしまう…。
AM5:30起床。6時に迎えに来たセルビス(乗合Taxi)に乗って、Jordanの首都Amman(アンマンから、ほぼ1時間。見えて来た国境の向こう側に広がる国“Israel(イスラエル)”への入国に際しては、2人には1つだけどうしても気をつけなければならない事がある。…それは、「入国Stampを絶対にPassport上に貰わない事。」
死海の水に浮かぶ2人。お決まりの“読書ポーズ”を、一緒に出かけた「チャラ男世界一周」の旅人“トオル君”に撮ってもらいました…(笑)。
ぺトラ遺跡見学は“トレッキング”のようだと、噂では聞いていたけど、確かにここでは山あり谷ありの敷地内を1日中とにかく歩き続けで、PM5:00の帰りの送迎バスに乗込む頃には、身体中が汗ベトベトで、ヒザもガクガクになってしまう…。
港町のAqaba(アカバ)を離れ、バスで約2時間の距離にあるWadi Musa(ワディ・ムーサ)という町にやってきた。ここは、ヨルダン随一の観光名所である“Petra(ぺトラ遺跡)”への玄関口であり、様々な肌の色をした旅行者たちが、毎日この小さな町に押し寄せてくる…。
AFRICA | Egypt | Jordan | MIDDLE EAST
フェリーで紅海をこえてEgypt(エジプト)の“ヌエバ”からJordan(ヨルダン)の“アカバ”へと抜ける単純で短距離なルートに、結局丸一日費やすことになってしまった…。
Egypt(エジプト)をAfricaと呼んでいいのかどうかは少し疑問が残るところだが、3月にCape Town(南アフリカ)からアフリカ大陸縦断を始めて以来、2人がその最終地点と思い、見定めていた場所が、ここEgyptであり、紅海の楽園Dahab(ダハブ)であった…。
Dahab(ダハブ)の町から、Jeepで30分くらい。何もない海岸線に突如現れた“海の家”群の目の前が、Blue Holeと呼ばれる有名なSnorkeling(Diving)Spotになっている。
登り始めた太陽の熱が、2人の冷え切った身体を少しづつ温めていく。陽射しの強さはダハブのそれと変わらないくらいだけれど、空気はヒンヤリと張り詰めていて、山を歩くのにはちょうど良い感じ。
かつて、モーセが神から十戒を授かったと言われる場所、シナイ山の、その頂上。満天の星空の下にくっきりとした輪郭を見せていた周囲の“灰色の山なみ”は、朝の光の中でその輪郭を少しずつ失っていき、ゴツゴツとした岩肌が美しい紅色に染まりはじめると、ぼんやりかかる朝靄の中、それは“紅い海”とでもいうような神秘的な風景に変わっていく…。
ホテルの目の前の海に広がるリーフに潜って、紅海の透明な水の中に広がるColorfulなFish Worldへ。
昼過ぎに、Dahab(ダハブ)に着いた。シナイ半島の東側、やはり紅海に面した海辺のリゾートタウンである。…ただ、昨日までいたHurghada(ハルガダ)と違うのは、こちらの方がよりリーズナブルな予算で滞在を楽しめる“Backpacker’s Paradise”だということ…。
コシャリとは、日本における“おにぎり”のような、エジプト人にとってのソウルフード。何処の町にもかならずこのコシャリを売る店があり、実際に味もなかなかイケるのだが、なによりまず値段が安いってのが2人にとってはとても嬉しい(笑)。
遊ぶことに夢中になりすぎて、ここが何という名前の島だったのか、結局最後まで知らないまま過ごしてしまった…。
ホテルの傍まで迎えに来たオンボロのセダンに乗って、何十艘もの豪華クルーザーが停泊するどこかの埠頭へとやってきた。場所の名前は分からないが、大抵のダイビングTourやシュノーケリングTourはこの埠頭から出発しているらしい…。
午後発のバスに乗込んで、灼熱のLuxor(ルクソール)を離れた。同時にナイル川とも別れを告げ、2人は一路、かつて「世界で最も美しい海」と謳われたうみ“紅海”を目指す…。
Luxor(ルクソール)へと向かうミニバスの旅の、途中に立ち寄った「Kom Ombo(コムオンボ神殿)」と「Edfu(ホルス神殿)」。
この日のツアーの2箇所目として訪れた遺跡「イシス神殿」。ナイル河に浮かぶ聖なる島“フィラエ”の上に建造されたこの神殿は、やはりアスワンハイダムの建造により水没の危機にさらされることとなり、結果、隣りの現在地“アギルキア島”へ移転されることとなった…。
3000年以上の時を経て尚、その輝きを失わない巨大岩窟神殿「Abu Simbel(アブ・シンベル)」。ナセル湖のほとりに佇むこの巨大神殿はかつて、アスワンハイダムの建設によって水没の危機にさらされていたという…。
窓の外には、豊富な水を湛えたナイル河の緩やかな流れと、その周囲に広がる乾ききった砂漠の織りなす不思議な風景が、どこまでも変わらず続いている…。
夕方、カイロのランドマークの1つである巨大モスク「ガーマ・ムハンマド・アリ」を見学に行ったのだが、PM5:00までとなっていた開館時間が“ラマダンのため”PM3:00に早められていて、2人が到着した時には、既に門が閉じられてしまっていた…。
Shisha(シーシャ)とは、イスラム世界ではポピュラーな嗜好品である“水たばこ”のこと。到着初日から気に入って通っているカフェで、初めてこれを体験してみました。
Cairoの宿。ヌビアン・ホステル。地球の歩き方にも載っている宿で、Wifi完備(Free)なのと、Trip Adviser(Internet)での評価が高かった事で宿泊を決め、到着前に予約してきていたのだが、やっぱりなかなか居心地が良いです。
Giza(ギザ)のピラミッドとスフィンクス。こういう旅をしている人たちにとって、ここは“必ず立ち寄る場所”の1つなんじゃないだろうか…。
カイロに到着した。時刻は、AM7:00を少し過ぎているのかな…。エチオピアからエジプトへの空の旅の途中で、標準時刻が1時間分だけ戻ってしまっているようだ。
思いがけなく“長居”することになったAddis Ababa(アディスアベバ)。普通に考えれば、長く滞在した分だけ沢山のモノや場所を見てきていそうなものなのに、実際には毎日同じ場所を歩くだけで、今でも行ってない地区や見所がたくさんある…。