写真展 " DAYS IN AFRICA "
素敵な旅カフェ POINTWEATHER で、
初めての写真展 " DAYS IN AFRICA " を開催しています。
● 16 July - 4 August 2013 / 場所 POINTWEATHER(綱島)
詳しくは、こちらをチェックしてみてください! → [ DAYS IN AFRICA ]
素敵な旅カフェ POINTWEATHER で、
初めての写真展 " DAYS IN AFRICA " を開催しています。
● 16 July - 4 August 2013 / 場所 POINTWEATHER(綱島)
詳しくは、こちらをチェックしてみてください! → [ DAYS IN AFRICA ]
AM9:30、列車はDelhi(デリー)の町外れにある駅「○○(…名前忘れた)」に到着した。予定到着時刻から、3時間近く遅れたことになる。早朝だからだろうか、空は薄灰色のモヤに包まれ、空気が肌に突き刺さるほど冷たい。時間帯にしては人出が少ないように感じるが、時おり通り抜けていくローカル列車の中の混雑具合を見ると、やはりここが大都会であることをひしひしと感じさせられるのである。
夕方、Hama(ハマ)に戻ってきた。町の中心から離れた所にあるターミナルでバスを降りると、そこから宿までの2km程の道のりを歩いて帰りつつ、町を散策することに…。
死海の水に浮かぶ2人。お決まりの“読書ポーズ”を、一緒に出かけた「チャラ男世界一周」の旅人“トオル君”に撮ってもらいました…(笑)。
AFRICA | Egypt | Jordan | MIDDLE EAST
フェリーで紅海をこえてEgypt(エジプト)の“ヌエバ”からJordan(ヨルダン)の“アカバ”へと抜ける単純で短距離なルートに、結局丸一日費やすことになってしまった…。
Egypt(エジプト)をAfricaと呼んでいいのかどうかは少し疑問が残るところだが、3月にCape Town(南アフリカ)からアフリカ大陸縦断を始めて以来、2人がその最終地点と思い、見定めていた場所が、ここEgyptであり、紅海の楽園Dahab(ダハブ)であった…。
Dahab(ダハブ)の町から、Jeepで30分くらい。何もない海岸線に突如現れた“海の家”群の目の前が、Blue Holeと呼ばれる有名なSnorkeling(Diving)Spotになっている。
登り始めた太陽の熱が、2人の冷え切った身体を少しづつ温めていく。陽射しの強さはダハブのそれと変わらないくらいだけれど、空気はヒンヤリと張り詰めていて、山を歩くのにはちょうど良い感じ。
かつて、モーセが神から十戒を授かったと言われる場所、シナイ山の、その頂上。満天の星空の下にくっきりとした輪郭を見せていた周囲の“灰色の山なみ”は、朝の光の中でその輪郭を少しずつ失っていき、ゴツゴツとした岩肌が美しい紅色に染まりはじめると、ぼんやりかかる朝靄の中、それは“紅い海”とでもいうような神秘的な風景に変わっていく…。
ホテルの目の前の海に広がるリーフに潜って、紅海の透明な水の中に広がるColorfulなFish Worldへ。
昼過ぎに、Dahab(ダハブ)に着いた。シナイ半島の東側、やはり紅海に面した海辺のリゾートタウンである。…ただ、昨日までいたHurghada(ハルガダ)と違うのは、こちらの方がよりリーズナブルな予算で滞在を楽しめる“Backpacker’s Paradise”だということ…。
コシャリとは、日本における“おにぎり”のような、エジプト人にとってのソウルフード。何処の町にもかならずこのコシャリを売る店があり、実際に味もなかなかイケるのだが、なによりまず値段が安いってのが2人にとってはとても嬉しい(笑)。
遊ぶことに夢中になりすぎて、ここが何という名前の島だったのか、結局最後まで知らないまま過ごしてしまった…。
ホテルの傍まで迎えに来たオンボロのセダンに乗って、何十艘もの豪華クルーザーが停泊するどこかの埠頭へとやってきた。場所の名前は分からないが、大抵のダイビングTourやシュノーケリングTourはこの埠頭から出発しているらしい…。
午後発のバスに乗込んで、灼熱のLuxor(ルクソール)を離れた。同時にナイル川とも別れを告げ、2人は一路、かつて「世界で最も美しい海」と謳われたうみ“紅海”を目指す…。
Luxor(ルクソール)へと向かうミニバスの旅の、途中に立ち寄った「Kom Ombo(コムオンボ神殿)」と「Edfu(ホルス神殿)」。
この日のツアーの2箇所目として訪れた遺跡「イシス神殿」。ナイル河に浮かぶ聖なる島“フィラエ”の上に建造されたこの神殿は、やはりアスワンハイダムの建造により水没の危機にさらされることとなり、結果、隣りの現在地“アギルキア島”へ移転されることとなった…。
3000年以上の時を経て尚、その輝きを失わない巨大岩窟神殿「Abu Simbel(アブ・シンベル)」。ナセル湖のほとりに佇むこの巨大神殿はかつて、アスワンハイダムの建設によって水没の危機にさらされていたという…。
窓の外には、豊富な水を湛えたナイル河の緩やかな流れと、その周囲に広がる乾ききった砂漠の織りなす不思議な風景が、どこまでも変わらず続いている…。
夕方、カイロのランドマークの1つである巨大モスク「ガーマ・ムハンマド・アリ」を見学に行ったのだが、PM5:00までとなっていた開館時間が“ラマダンのため”PM3:00に早められていて、2人が到着した時には、既に門が閉じられてしまっていた…。
Shisha(シーシャ)とは、イスラム世界ではポピュラーな嗜好品である“水たばこ”のこと。到着初日から気に入って通っているカフェで、初めてこれを体験してみました。
Cairoの宿。ヌビアン・ホステル。地球の歩き方にも載っている宿で、Wifi完備(Free)なのと、Trip Adviser(Internet)での評価が高かった事で宿泊を決め、到着前に予約してきていたのだが、やっぱりなかなか居心地が良いです。
Giza(ギザ)のピラミッドとスフィンクス。こういう旅をしている人たちにとって、ここは“必ず立ち寄る場所”の1つなんじゃないだろうか…。
カイロに到着した。時刻は、AM7:00を少し過ぎているのかな…。エチオピアからエジプトへの空の旅の途中で、標準時刻が1時間分だけ戻ってしまっているようだ。
思いがけなく“長居”することになったAddis Ababa(アディスアベバ)。普通に考えれば、長く滞在した分だけ沢山のモノや場所を見てきていそうなものなのに、実際には毎日同じ場所を歩くだけで、今でも行ってない地区や見所がたくさんある…。
今日こそは…と、願いを込めてイエメン大使館に電話をしに行く、M。それを部屋で見送りつつ、気持ちを落ちつけようと努める、J…。
今日も、Yemen Embassy(イエメン大使館)からの連絡は来ない。向うの電話番号も控えていたから、こちらから掛けてもみたのですが…。
先週の金曜日(8/20)にレターを提出してから、5日。その時受付の女性が言った言葉を信じれば、今日は2人のVISA申請に対するPermit(許可)が降りるハズの日なんだけど…。
Addis Ababa(アディスアベバ)の街中にある「SPA(スパ)」。まぁ温泉なわけですが、これが地元の人たちにも大人気で、入ろうと思うと“何時間待ち”みたいな状態で…。
入国当初は気付いてなかったんだけど、この国には“Ethiopian Time”と呼ばれる独自の「12時間制」が存在しており、これをきちんと理解していないと、バスの乗車時間とかそういうので大間違いを犯す可能性もあるのです…。
エチオピアで最も有名なコーヒーのお店「TOMOCA」。今回はエチオピア入国初日以来、2度目の訪問で、2人とも同じ“マキアート”を注文しました。
次に向かう国「Yemen(イエメン)」のVisaを取得する為に必要な“日本大使館からのレター”やら“銀行発行の両替証明書”など、書類の手配に追われる1日でした。
AM3:30起床。エチオピアの朝は早い。バスで長距離移動をしようと思うと、大抵この時間帯に目覚ましをセットすることになってしまう。今日のバスの出発予定時刻はAM4:00である。荷物をホテルのフロントへ移動し、そこで迎えが来るのを待つことに…。
今日の早朝のバスでAddis Ababa(アディスアベバ)へ向かうはずが、再びやってきた悪夢の“食中毒”によって、急遽1日延期することに…。
Lalibela(ラリベラ)の岩窟教会群。文句なしの世界遺産。一体、どのような技術と努力によって、これ程美しい教会群を岩の最中に掘り抜いたのか…。
AM6:30にGondar(ゴンダール)のバスステーションを出発。予定より1時間遅れでの運行となったのは、どうやら車のバッテリーがあがっていた事が原因だったらしい…。
本当は今日の早朝のバスに乗ってLalibera(ラリベラ)へ向かう予定だったのだが、どうにも上手くチケットが手配出来ず、1日延期して明日、移動することになりました。
午後から訪れた離宮、「ファシリデス王のプール」の壁に絡みつく大木。その雰囲気は、どこか「天空の城ラピュタ」を思わせるものがあるような…。
丘の上の草原の間に建つ、古都“Gondar(ゴンダール)”の城跡。他のアフリカ地域に見られないようなヨーロッパ式の古城をこの地に見出した西欧人は、ここを「House of Wonder(不思議の城)」と呼んだという…。
もう1泊するつもりが急遽予定を変更して、今日の午後発のミニバスに乗りこみ、ここから更に200km程北にある町Gondar(ゴンダール)へと移動することにした。
Bahir Dar(バハルダール)は、Lake Tana(タナ湖)の湖畔に広がる小さな町。このタナ湖には37もの小島が浮かび、その上に建つ教会や修道院には、Gondar(ゴンダール)から流れてきた宗教画家たちによるフレスコ画が鮮やかに残されている…。
Bahir Dar(バハルダール)の町角のカフェで、2人にとっては初めての、ちょっとした“Coffee Ceremony(コーヒーセレモニー)体験。
AM2:30起床。AM3:00に宿の前まで2人を迎えにきたワンボックスタイプのミニバスに乗り込み、真夜中のAddis Ababaを走る。今日の目的地であるBahir Dar(バハルダール)へは、お昼を過ぎた頃に到着する予定だ。
昨日は夕方、バスがAddis Ababa(アディスアベバ)へと到着する寸前になって降り出した雨に思いっきりやられてしまい、最後には全身びしょ濡れの状態で、それでもどうにか無事に宿へと辿り着く事ができた。
エチオピアで本当にスッパイのは、名物インジェラの“味”じゃなくて、長距離バスの中に充満する、現地人たちの吐いたゲロの“匂い”なじゃないかと思う…。
Harar(ハラル)に来て2日目の午後に、この町を愛したフランス生まれの詩人Arthur Rimbaud(アルチュール・ランボー)の暮らした家を見学に行ってきました。
昨日、一昨日と寝不足気味な日々が続いていたので、今朝は2人ともAM10:00頃までぐっすりと眠りこんでしまった。それでもまだ眠い気分をどうにか振り切ってごそごそとベッドを抜け出すと、宿泊しているBelayne Hotelの屋上レストランで遅めの朝食を済ませ、すぐに城壁に囲まれた世界遺産の町“Harar(ハラル)の旧市街”へと向かった。
AM10:00ぴったりにチェックアウトを済ませると、荷物をフロントに預かってもらって曇り空に覆われた灰色のNairobi Townへ…。
有名なギコンバ・マーケットへ、“掘り出し物古着”を探しに行ってきました。でも、Nairobiのマーケットなんかにカメラを持っていくのはちょっと怖くて、だから今回、マーケットの写真は1枚もなし。…行ってみたらそこまで緊迫した雰囲気でもなかったけど…。
AM9:00過ぎ。30分ほど待たされた後に、2人を乗せたスローボートはLamu(ラム)の港を出て、対岸のメインランドへと向けて走り始めた。
明日、この町を離れる事になる。…そう思うと何だか寂しくて、「バスのチケット、変更しちゃおっか…。」なんて気分にもなったりして(笑)。
NairobiやMombasaの写真はほとんどないくせに、ここに来てからは、毎日たくさんの写真をブログに載っけてる。やっぱり、居心地がいい場所ってのは、写真を撮ることもまた、いつもより余計に楽しくなるみたいで…。
滞在5日目。既に予定の4泊を終えたのですが、結局この島とこの町を離れる事が出来ず…。もうしばらく、滞在を延長する事にしました。
Lamu(ラム)と同じ島内、3km南に行った海辺の村“Shela(シェラ)”。今日はロバを2頭雇って、日帰りでこの村へ足をのばしてみた。
午後、良く晴れていたはずのラムの空に、一瞬だけ薄いグレーの雲が掛かったかと思うと、ポツリポツリと雨が降り出して、それが一気に激しさを増してきた…。
昼食後、広場のベンチに腰掛けて露店で買ったジュースを飲んでいると、Ali(アリ)と名乗る小太りのオッサンから“Dinner Party”へのお誘いを受けた…。
到着から1夜明けた翌日の朝。とりあえず近所にあるマーケット周辺を歩きつつ、その辺りの大衆レストランで昼飯を食べ、Lamu(ラム)という町の雰囲気を何となく探る…。
朝、Check Out後にホテルの1階の大衆レストランで“チャイとドーナッツ”の簡単な朝食を済ませると、歩いて5分程の距離にあるバス会社のオフィスへと向かった。
早朝5:00前にMombasa(モンバサ)の町に到着したバスは、そのまま客を乗せた状態で陽が昇る時間を待ち続ける。そして、少し辺りが明るくなりはじめたAM6:30頃にバスを降り、そのまま目当てのホテルへと向かった。トゥクトゥクに乗って、5分くらいの距離。「New People’s Hotel」という名のその安宿に到着すると、まだ掃除が終わって無い小さなTwin Roomに、とりあえず荷物だけ降ろさせてもらうことに。そして、掃除夫がくるのをその場で待っているつもりが、シーツも敷かれていないベッドの上で2人ともウトウトと眠り込んでしまったようで…。次にパッと気が付いた時には、10時近くになってしまっていた。まだ、掃除夫が来た形跡はない。う~ん、まだか…。…そのまま、再び眠りに落ちていく2人。そんなことを何度か繰り返している内、ようやく部屋掃除が来てくれた時には結局12時近い時間になってた。部屋がキレイになったのを見届けると、何か腹に収めようと、ホテルの下にある大衆レストランへ向かう。ピラウと呼ばれるドライカレーのようなものが80Kshだから、約90円くらい。少しコリアンダーが効いてたのが気になったと言えば気になったけど、味はなかなか悪くなかった。そして、「よし、とりあえず腹も膨れたし、キレイだって噂の“Diani Beach”方面にでも行きますか!!」と、気合いを入れたそのすぐ直後。レストランの外を歩き始めて3歩ほどいったところで、急に空がどんよりと暗くなり、そこから大粒の雨が降って来たのである。途端に意気消沈する2人。「…ちょっと、待機しよっか、部屋の中で…。」…この日、結局そのまま雨が降りやむことはなく、気が付いてみればホテルの部屋と1階のレストラン周辺で丸1日を過ごすことになってしまっていた。
「…明日はきっと、晴れるでしょ。“海の日”だし、日本のカレンダーでは…。」
今日は夜行バスでMombasa(モンバサ)へ向けて出発する予定だから、午前中のうちに宿のチェックアウトを済ませて、日中は町でブラブラしてました。
早朝の到着にもかかわらず、Hotelに入るとすぐに、オーナーのオバちゃんの案内で気持ち良く素敵な部屋へと通してもらった。そして、荷物を降ろして靴を脱ぐと、2人同時にベッドに転がり、そのままスヤスヤと寝息をたて始めた…。
今日は夜9:30からTVでWorld Cupの決勝戦が放映されるため、移動は諦め、この町にもう一泊することにしました…。
昨日の夕方に到着したMorondava(ムルンダヴァ)の、「Hotel Menabe」の静かな部屋で半日休んだMの体調は、どうやら良好になりつつあるようで…。
昨日の夜以来、Mのお腹の具合がますます良くない。胃がキリキリと痛むってのも気になるところなのだけれど、それでも今日はフライトの日だから、空港へのお迎えが来るという「7時」に合わせて早朝に起きてみると…。
午前中、昨日は時間が遅すぎて出来なかった“チケットの日付変更手続き”を済ませ、その足でいつもの食堂に直行すると、朝飯のような昼飯を食べる。いつも同じ食堂だけど、何せこの店のオジサンがやたら親切で、またそこで出すメシが美味いもんで…。
Airチケットの手配を終え、いつもの食堂で早めの夕食を食べた後、浜辺を散歩しながら穏やかな気分で夕焼け空の下を宿へと戻ってきてみると、掃除婦兼ガードマン風のオッサンの口から意外な報告があったのである…。
七夕の朝。外は良く晴れ、バンガローのベッドで眠るJの熱もひとまず落ち着いてきたようだ。それでも昼過ぎまで様子をみてから、午後になってようやく汗だくの寝間着を着替えて顔を洗い、2人ゆっくりと散歩に出かけたのです。
夜、再び J がダウン。朝はMの方が昨日の疲れでやられていた風だったのだが、夜になってみたらJの方が倒れ込んじゃったという…。
Morombe(ムルンベ)に着いて、2日目の朝。…言うまでもなく、身体の痛みは和らぐどころかその度合いを増しており、2人ともベッドから起き上がる事すらままならないような状態である。とくにケツと背中がどうにもならないよ、こりゃ…。
Toliara(トゥリアーラ)から、海岸線を北へMorombe(ムルンベ)に向かう。Taxi Brousseは前回Ifatyに行った時と同じ“トラック型”で、今回の運転手はやたらと飛ばすから、進むのが早いには早いんだけど…。
昨日の夜から、Jがかなりの下痢に悩まされている。身体もだるくて、これはまさに、以前Buenos Aires(Argentina)やSt.Helens(Australia)で味わった「食中毒」の症状じゃないかと…。
少し日が傾いて陽射しが柔らかくなり始めたPM3:00、バオバブ林見学に向かうため、お迎えが来るのをホテルの入口で待つ2人…。
AM9:00。昨日出会った地元ガイドと約束した時間通りに、ザンジバルでもお世話になった小さなダウ船がホテルの前の浜辺に用意されていた…。
Antananarivo(タナ)を出発して以来、ずっと南下してきたRoute 7を更にTaxi Brousseで下り、その終着点となるマダガスカル西南部の海辺の町「Toliara(トゥリアーラ)」へ。
今日はPM9:30からWorld Cup「日本vsパラグアイ」があるので、無理して移動はせずにこの町にとどまりました。…この前のような事もあるから…。
午後も、広大な公園内を歩き続ける。そして、たくさんの動物たちにも会いました。
Ranohira(ラヌヒラ)到着から1夜明けた今日は、この場所に来た理由でもある国立公園「Parc National de l’Isalo(イサル国立公園)」へ。
AM7:00に宿を出て、歩いて10分の距離にあるTaxi Brousse(タクシーブルース)ステーションへ。今日はここから更に南へ、Ranohira(ラヌヒラ)へと移動する予定である。
Fianarantsoa(フィアナランツア)からTaxi Brousseで約1.5時間。映画のセットみたいな、可愛らしくて小さな町「Ambalavao(アンバラヴァウ)へやって来ました。
和紙に似た、手造りの紙を製作している工房。名前の由来は、この紙製作技術が東海岸に住むアンタイムル族に伝わるものだから、だとか…。
日本戦を見逃したショック(!?)を抱えたまま、次の場所への移動の経由地として、再びFianarantsoa(フィアナランツア)に戻って来た2人。
その日の夜。宿のオヤジによれば「PM9:30から日本の試合放映されるよ。この先1km坂を下ったところにあるホテルでTVを見せてもらえるはずだから、そんなに早く出なくても大丈夫だと思うけど。」という話だったのですが…。
写真の動物、タンザニアの時に載せたサルとほぼ同じアングルで写り込んでますが、こっちはタダのサルじゃなくって「キツネザル」的な生きモノなのです…。
明日の試合を観に行く時のための“予行演習”として、今日の内にいちど、7km先にあるVillage(村)とやらに歩いて行ってみる事にしました。
早朝のTaxi Brousse(タクシーブルース)に乗込んで、Fianarantsoaから北東62kmの地点に位置する田舎町「Ranomafana(ラヌマファナ)へ。
Taxi Brousse(タクシーブルース)に乗って、Tanaから南へ200km以上離れたマダガスカル第4の都市“Fianarantsoa(フィアナランツア)”へ…。
Tana(タナ)は坂の多い町で、歩いて廻ると結構息が切れる。…町自体が高原地帯にあるってのも、息切れの原因かもしれないけど。
Madagascar(マダガスカル)到着から2日目の今日は、1日ゆっくりと首都Tana(タナ:Antananarivoの略称)の街を歩いた。
AFRICA | Kenya | Madagascar
この前、思わぬ長時間移動の末にようやくKenya(ケニア)に入国したばかりだというのに、結局それから2日後の今日、海の向こうに浮かぶ島国「Madagascar(マダガスカル)」へと向かうフライト“マダガスカル航空MD○○○便”に乗り込む事になってしまった(笑)。
AM9:00 Arusha(アルーシャ)発のShuttle Busに乗って、昼過ぎにはTanzaniaからKenya(ケニア)への国境を越えた…。
昨日の夕方、“Victoria Expeditions”というTour会社で契約を済ませ、今日から1泊2日でサファリツアーに参加することにした。
今日も“アフリカの屋根”キリマンジャロは雲の向うに隠れてしまっていて、いっこうに見えてくる気配すら漂ってこない…。
今日の夜行フェリーに乗って、Dar Es Salaamへ戻る事にしました。
本当はいつまででもいられそうな気分があったんだけど、先へと向かう気持ちを失ったわけでもなく、…まぁ旅ですから。
いつも通り、特に何かしなきゃいけないけない事や行かなきゃならないとこがあるわけでもなく、なんとなく町を歩き続ける…。
海辺でののんびりとした生活を終え、旧市街Stone Twon(ストーンタウン)へ戻ってきた。
Jambiani滞在初日の海は、ちょっとビックリするくらいに潮が引きまくっていて、到着早々に泳いでやろうと思っていた2人にとっては残念な気分もあったりなんかして…。
今日の宿泊先となるMalaika(マライカ)Guest Houseに2人が到着したのは、AM11:00を少し回った頃だったろうか…。
埠頭から正午発のフェリーに乗込んで、Dar Es ~沖に浮かぶ小島“Zanzibar(ザンジバル)”へと向かった…。
Dar Es Salaamの市内からダラダラ(乗合ミニバス)を乗り継いで、約2時間。日帰りで、Dar Es~ 北西にある海辺の小さな町「Bagamoyo(バガモヨ)」へ行ってきた。
AM7:00、Dar Es Salaamでの宿となる「YWCA」に到着。1階の食堂でしばらく待ったあと、受付のオバちゃんに頼んでチェックインを済ませると、2階の小奇麗なTwin Roomに重たい荷物を下ろした。
Tazara(タンザン鉄道)移動生活の3日目。今日もちょくちょくと長時間停車をしていて、列車はなかなか予定通りには前に進んでいかないようで…。
日本では“タンザン鉄道”の名で知られる、Tazara(タザラ)。昨日の夜8時にZambia(ザンビア)側の始発駅“Kapiri Mposhi(カピリムポシ)”を出発した列車は、2日目の昼を過ぎた今もまだZambia国内を走り続けている。
二日酔いで痛む頭を押さえながら、2人はAM10:00発のバスに乗ってLusaka(ルサカ)からKapiri Mposhi(カピリムポシ)へと向かった。
Cha Cha Cha Backpackersで同じ宿に泊まっているジャーナリストの“モリテツさん”を囲んでの、夕食&飲み会in Diane(笑)。
Livingstone(リビングストン)の宿。今回もキャンプで、料金は1人1泊US$3です。
翌朝10時過ぎに列車はVictoria Fallsの駅に到着した。重い荷物を背負いなおし、歩いて国境の出国審査所を目指す…。
Bulawayo(ブラワヨ)から、Victoria Falls(ビクトリアフォールズ)へ。
Harareを出てから3日目にして、ようやくGreat Zimbabweにやって来ました。
最初、Harareの家でSolomonと話していた計画では、初日のうちにこの遺跡見学は終わっているハズだったんだけど…。あいつが特別なのか、Zimbabwe人がみなそうなのか、とにかくやたらと段取りが悪いのである。
疲れまくりの旅から1夜明けた今日、朝早く起きて外に出ると、そこには長閑で穏やかな“Zimbabwe的正しい田舎の村生活”が広がっていた…。
Harareでの日々にも別れを告げ、ここから北のKariba(カリバ)、さらにZambia国境へ…と思っていたのだけれど、昨日の夜にSolomonさんにそそのかされまして…。
今日は、これまたCape Townで熊さんに教えてもらった“Art Village”を訪ねることに。
…そういえばここに来る前、Harareの町をバスターミナルへ向かって歩いている途中、Solomonさんという片言の日本語をあやつるジンバブエ人に“再会”しました。
朝、いつも通り8時前に目を覚ました2人は急いで出発の為の荷造りを終え、その荷物はその場に置き去りにして忙しく外へと出掛けて行った…。
ここに来て1週間がたち、2人のムビラも昨日の朝ついに完成した。練習はまだまだ始めたばかりだけど、そろそろ旅を再会しないと…。
いよいよ2人の為のMbira製作も開始され、家の作業場はなにやらトンカチと騒がしくなってきた。そいつを眺めているだけでもなかなか楽しかったりするんだけど、その一方で女性陣からの「お出掛けの誘い」なんかもあったりして、昼間は町に出かけたりも…。
Mbira(ムビラ)合宿2日目。
2人にあてがわれた部屋のベッド(と言ってもマットレスはなく、ベッド状の板の上に2人並んで寝袋敷いて寝てる)で目覚めると、外では既に、ガリカイ氏の奥さんが皿洗いなどの家事をこなしている音が聞こえている…。
昨日、宿のオーナーに電話をしてもらって、Mbira(ムビラ)Playerのガリカイ氏とコンタクトを取った。ガリカイ氏は国際的にも有名なムビラ奏者で、彼の名前はCape Townで出会った日本人ムビラ奏者の熊さんから教わっていたのだが…。
今日、Zimbabweの首都Harare(ハラレ)に向けて旅立つのだが、バスの出発時間が夜中のAM2:00だというので、昼間は宿に荷物を預けてブログの日記を書いたり、何だり…。
ビクトリア滝の傍、Zimbabwe~Zambiaの国境に設置された、世界一の高度を誇るバンジージャンプ。この橋の中腹が、そのJump台になっているのである。
昨日、昼過ぎにChobe(チョベ)でのGame Driveを終えたあと、HotelからTaxiでZimbabwe(ジンバブエ)国境へと向かい、そこから更にTaxiを乗り継いでVictoria Fallsへとやってきた。
Safariの起点となる場所のHotelというのは、得てしてリゾート的高級ホテルなことが多い。2人が選んだこのChobe Safari Lodgeも4つ星の素敵なリゾートで、Safari Tourもこのホテルの主催のものを利用することになります。
AM8:00過ぎに宿の前の川辺を出発し、1泊2日の「Mokoro Trip(モコロ・トリップ)」へと出掛けてきました。
Botswana北西に位置する町Maun(マウン)は、“カラハリの宝石”とも称えられる美しい湿原地帯「Okavango Delta(オカバンゴ・デルタ)」を訪れる起点となる場所…。
早朝、今日もさっそくヒッチハイクを頑張らなきゃなぁ…なんて考えていたところ、何と昨日の掃除オバちゃんが再び2人の傍にやってきて、更なる嬉しい提案をしてくれました。
昨日の訪問で見られなかった彼ら(Himba)の踊りを観る為、今日またJimmyにお願いをして、別の家族を訪れる事にしました。
Opuwo周辺に広がるKaokoveld(カオコランド)という地域に住む、Himba(ヒンバ)と呼ばれる人々に会いに行ってきました。
OmuthiyaからOshakatiを抜け、Tsandiへと向かうルートは非常に景色の美しい道のり。
時おり通り過ぎる村や町の雰囲気も楽しいし、とにかく自然の豊かさにため息が出る。水辺に佇む牛や馬たちの姿も絵になります。
国立公園内、北側にあるNamutoniのキャンプサイトで1夜を明かした、次の日の早朝。
あまり大きな期待はしていなかったのだけれど、ここに来てようやく念願の“BIG 5”に遭遇することができたのです。
“ウェルウィッチア”に時間をとられてしまったのもあり、今日の宿泊地となるOutjoに着いた頃には、夕陽が沈む寸前になってた…。
この砂漠の土地で、数千年もの長い間、生き続けている植物があるらしい。その「ウェルウィッチア」という植物をみるため、同じ国立公園内を2人はさらに奥へと向かう…。
AM8:00にキャンプをあとにすると、その脚でまず向かったのが「Moon Landscape」と呼ばれる風景の広がる国立公園。
アフリカで唯一、ドイツ植民地時代の面影を残す国Namibia。そのナミビアにおいて、最もそのドイツ色が色濃く残るのが、リゾート地でもあるここスワコップムンド。
朝日が昇るのを見届けた後、Dune45からさらにToyotaカローラを走らせ、その奥に控えているSossusvlei(ソススフレイ)を目指す。
早朝、AM4:30に鳴らしたアラームで目を覚ますと、狭いテントの中で2人ぶつかりあいながら急いで着替えを済ませ、真っ暗な闇の中で車に乗り込み、素早く出発…。
AM8:30。約束の時間よりも少し早目にレンタカー会社の事務所を訪れると、特に何の問題もなく手続きは全て無事に終了した。
Cape Town駅からMetro Trainに乗って、ケープ半島の東海岸にある町「Kalk Bay」へ。
同宿のべジータさん(静岡県出身の日本人旅人)に“旅には一眼レフカメラを”と強く勧められ、とりあえず“社会見学”のつもりで、一緒にカメラ屋巡りをすることに。
Cape Townで2人が利用している宿の名前。名前の由来は、宿にいる“Cat”という猫と、“Moose”という犬の、それぞれの名前から。
昨夜、Bloemfontein(ブルームフォンテン)のターミナルを1時間遅れで出発したバスは、目的地のCape Townにもやはりだいぶ遅れて到着した。
到着した日からしきりに話しかけてくれていた地元の青年に案内してもらって、夕方の村をさらに歩く。彼の名は、Joseph(ヨセフ)といいます。
Cat & Mooseに大きな荷物を預け、小さなバックに入れた少しの着替えとパスポートだけを持って、South Africaに国土を囲まれた小国“Lesotho(レソト)”へ。
国土の大部分が2000m以上の高地にあるこの国は、「アフリカのスイス」「南部アフリカの屋根」又は「天空の王国」などと呼ばれたりもするらしい。
Cape Townの後ろに横たわる、巨大なTable Mountain。到着から1夜明けた2日目にして、この山に歩いて登る片道約3時間のトレッキングへと出掛けてきました。
シンガポール航空の便で、Sydney(Australia)からCape Town(South Africa)へ。
遂に今日、Morroco滞在の最終日を迎えた。
明日のPM4:00過ぎにはMarrakech空港発のRyan Air 8637便に乗って、次の国へ向けて出発することになる。次の目的地へは直行便だと高くつく為、2人はヨーロッパを経由してのフライトを選んだ。
そんなわけで、Morroco出国後の最初の経由地となったのが、GermanyのDusseldorf。到着後はDusseldorf内の別の空港に移動して、Germanyの航空会社「LTU」の飛行機に乗り継ぐことになる。出発は翌日11/14の午後なので、場合によっては空港内で夜を明かすことになるかもしれない。
そうして、最終的にその LT3550 便が到着する事となる2人の次の目的地とは…..何と、America、New York !!
これからアフリカ大陸を南下しようとしていた2人がUSA行きを決めたのには色々とまあ
経緯があるのだけれど、直接的な決め手となったのはやはりお金にまつわる諸問題...。
昨日の夜は週末だからということもあってか、Jemaa El Fnaの活気がいつも以上に凄かった気がする。本当は夜遅くまで街を楽しみたい気持ちもあったのだけれど、それ以上に山歩きとバス移動での疲れが体に溜まっており、もう動くに動けない状態….。
そんなワケで、昨日楽しみきれなかった分、今日は早めから動き出してMarrakechの街をさまよい歩いてきた。
AM9:00に「CAMPING IMOUZZER」をあとにして、グランタクシーでまずは最寄の町Azilalへと移動。
カフェでオムレツとミントティーの朝食を楽しみながらバスが来るまでの時間をやり過ごし、PM2:00のバスに乗って再びのMarrakechへ向けて出発した。
このオンボロバスでの長距離移動も、遂に今回が最後となる。そう思いながら乗っていると、このサウナの様な室内の暑さも何やら愛おしいモノのように感じられてくるのだから、人間の感覚というのは全く不思議なものである。
昨日はガイドをつけての一日だったから、今日は自分たちの好きなように山道を散歩したくて二人だけで宿を出てきた。
コースは昨日とは逆サイドの、下流に向かって延びている凸凹山道。
こちら側にはいくつもの小さな滝が連なっており、夏場であれば飛び込みが出来るようなプール状の水場まである。切り立った山々のおりなす自然の彫刻とでもいう様な周辺の風景はとても美しく、それらに囲まれた道を歩いているだけでも十分にこの地の魅力を堪能出来るのだが、今回二人はその道の先にある「メキシカン ヴィレッジ」と呼ばれる村を目的地としてこの散歩をスタートしていた。
滝のまわりをぐるりと一周して、様々な角度から膨大な量の水が流れ落ちる様子を眺めていくにつけ、これだけの水がこの乾いた土地の一体どこから沸いてくるのかととても不思議に思えてくる。
二人がこの国に滞在していた1ヶ月半の間に、本格的に雨が降ったのはFesにいた時の一回のみ。どこに行っても土は乾いた赤色をしており、町中埃っぽいことこの上ない。そんな「Morocco」の中にあって、この滝を流れる水の量とその姿の見事さは一体どうした事だろう…。
休憩の為に入ったカフェのマスターにその事を聞いてみたところ、この川の源流、つまり、この水が湧き出している場所がここから3km程の所にあるから、良かったら行ってみるかと提案された。滝に落ちる時点では茶色く濁っている水の色も、そこでは周りの木々の緑色に染まった透き通る色の「ミネラルウォーター」であるらしい。
その場所に興味を持った二人は早速そのマスターにガイドを手配してもらい、片道1時間半の道のりを「湧き水」目指して歩き始めた。
ここのキャンプサイトでは、毎日夜になると宿泊客みんなが焚き火のまわりに集まってきて、沖縄で言うところの「ユンタク」のような場ができあがる。
そして、いつもその集いの中心にあるのが、宿のFamilyが演奏する「ジャンベ」の音とベルベルの歌。
毎日違う顔ぶれの「Family」たちがそれぞれに違ったスタイルのドラミングを披露してくれるのだけれど、特に今日演奏してくれた人は、もう飛び抜けてそのドラミングが上手で、二人共その手の動きと奏でられるAfrican Musicに心から感動してしまった。
宿のオーナーの腕は大した事ないから、出来れば明日も同じ人が来て演奏してくれると嬉しいんだけどな。
今日はMarrakechからバスで3時間ほど離れたところにある、大きな滝(Cascade)で有名なD’ouzoudという場所にやってきた。バスはCTMにその路線がなかった為、民営のバスを利用したが、やはり相変らずオンボロっぷり。エアコンの効かないサウナ状態の車内で汗だくになりながら、まずは最寄の町Azilalまで移動。そこでグランタクシー(乗合タクシー)に乗り換えて約30分、陽が沈み始めた頃になってようやく二人は目的地であるD’ouzoudへと到着した。
Marrakech3日目。この町の空気にも少しずつ馴染んできて、食事の場所や休憩ポイントもいくつか見つける事ができた。ホテルも町の中心に近いから何かにつけて行動の拠点になっている。
ここMarrakechには、「ハサン」という旅人の間で名の通った背の高いモロッコ人がいて、この町を訪れた日本人にはこの「ハサン」が色々と暮らし方についてのアドバイスをしてくれる。最初にヨーロッパで「ハサン」の名前を聞いたときには、ハサンったって、そんな名前のモロッコ人はいくらでもいるだろうから、どれが目当ての「ハサン」なのか分からないのではないかとあまり当てにはしていなかったのだが、いざその本人に出会ってみると、その「ハサン」はコイツでしかありえない!!って感じのとても分かり易い人物だった。
遅めの午前中にカーテンからもれてくる明りで目を覚ました二人は、まず溜まりにたまった洗濯物を片付ける事から今日1日をスタートした。
起きてすぐに確認したところ、ホテルの屋上が物干し用のテラスになっていて、水場には洗濯桶もしっかり用意されている。天気の方も、肌が痛くなるくらい強い日差しが照りつけており、いわゆる絶好の洗濯日和。
桶に衣類を放り込んでは踏み洗いで汚れを落とし、一枚一枚ピチッとのばして洗濯ロープに干し並べていく。このキレイになっていく感じがホントに気持ちイイんだよね。
予定通り3時間後のPM8:00過ぎに、2人の乗ったバスはMarrakechのCTM専用バスターミナルに到着した。
タラップから外に出ると、辺りはもう真っ暗。他の乗客と一緒にターミナル外のタクシー乗り場へと移動し、何とか相乗りでフナ広場まで行く車を見つける事に成功した。
ここからどのくらいの距離だか分からないけど、20DH/一人のタクシー料金は少しふっかけられた感じもする。
何はともあれ、とにかくタクシーはフナ広場へと向かって動き出した。そして、その直後からまず二人が驚かされたのが、道を往来する車と人の多さ!!
Essaouiraも今日で最後。
最後にもう一度この町の風景を写真におさめようと、カメラ片手にあっちこっちをうろつき廻ってきた。
Essaouiraは芸術家たちが集う街のようで、町には画廊やその他のアーティストSHOPがあちらこちらに点在している。ヨーロッパから移住してきているアーティストも多いらしく、そういった人たちの生活ぶりを特集したTV番組が放映されていたりもしていた。そんな事が影響しているからかどうかは分からないけれど、この街には、どこか芯の部分で落ち着いた空気が感じられる。
もちろん、地元のひとたちの生活には他の町同様にモロッコらしさが溢れているし、市場や食堂で感じる海の町特有の活気には、何度訪れても圧倒されてしまう。
しかし、それでもなお、この街に「落ち着き」を感じるのは、私たちのような観光客に対して町の人達の対応がとてもスマートだからかもしれない。
モロッコに来て以来、他のどこの町にいても多かれ少なかれ感じていた商人たちからの「圧迫感」を、この街ではほとんど気にすることなく生活できてしまうのだ。
観光客だからといって店でふっかけた金額を言われることもまず無いし、しつこく接客される心配もせずに安心して町を歩く事ができる。
町には安くておいしい食べモノがワンサカ溢れており、町中に疲れたら海辺でぼんやり休む事もできる。
ここは、旅人が「長逗留」するのにはもってこいの町なのかもしれない。
夕方ビーチに行った。砂漠で見た夕焼けもキレイだったけど、海のかなたに沈んでいく夕日もやはりとても素晴らしい。そんな事をあらためて思いながら、赤く染まったビーチの水辺で二人して子供の様に遊んでいた。
今日も一日街歩き。
この街の商人たちはしつこくまとわりついてくる事もなくて、街歩きをするのにはとても快適な環境である。Fesで感じた煩わしさは、やはり特別なものであったらしい。
途中、2~3DHでドーナツやクレープなんかの軽食を楽しんだが、どれもシンプルな味付けが逆にとっても美味しく感じられる。
疲れてきたらビーチサイドに腰掛けて、目の前の大西洋を眺めながら ぼんやりとその波の動きを目で追いかけていた。何だかとてもすがすがしく、気持ちの良い秋のとある一日といった趣。
そういえば、今日は夕食がちょっと面白かった。
バスに乗って海岸線を南へと移動し、新たな街Essaouiraへとやってきた。
宿は客引きに案内された宿ホテルで、1部屋100DH/1泊。
街では明日から音楽祭が開かれるらしく、ヨーロッパからの観光客もたくさん来ている。他のホテルも結構満室状態みたいだから、スムーズに宿が見つけられたのは実はラッキーだったのかもしれない。部屋の窓からは海が見渡せる、OceanViewの立地だし。とりあえず、3泊分宿を支払って、PM3:00過ぎから街歩きへと繰り出した。
期待に反して、ここの海の水はかなり汚い!!
ビーチもあるにはあるのだが、砂もどことなく黒ずんだ色をしていて海に入ろうという気にはとてもなれない…。
なので、今日はもっぱら町歩きとメディナ散策で日中を過ごす事となった。
途中にはビーチ付近のカフェに入って、砂の上で行われている草サッカーを眺めながらのコーヒータイムも。
Casablenca滞在中に毎日通っていたチキン屋で最後の昼食を食べおさめして、午後のバスで次の町アルジャディーダへと移動してきた。
途中、バスの車窓から見えた久しぶりのビーチと海が、やけに新鮮に感じられる。Casablancaも海辺ではあったけれど、貿易港ゆえに生活の中で海を身近に感じる事はなかった。ここから先はEl jadida~Essaouiraと海辺の町を見て廻るつもりなので、天気によってはまた海水浴なんて事もありえるかも?!
この町での二人の「家」となったのは、名前だけは立派なHotel de Franceという宿。海辺に建つかなり古い安ホテルだが、部屋から海が見える安宿だというウワサを聞き、いつもの如く迷いながらも何とかここまでやって来たのだ。
しかし、いざ到着してみると、海側の部屋はあいにく「FULL」とのこと….。
結局、中庭側のダブルルームを60DH / 1泊(\900)で借りて、今日から2泊この町に滞在することとなった。
夕方から少し外を歩いてみたが、町はまるで縁日のような大賑わい。その後ろには真っ赤に染まった夕焼け空が広がっていて、その美しさに何だか背筋がぞくっとしてしまった。
今日はもう暗くなってきたから、海を見るのは明日になるかな。
Casablancaの街はかなり大きかった。
El Jadida行きのバスに乗りながら昼の街を観察してみていたのだけど、見渡す限りにビルや家が建ち並んでいる。街の中心にあるCTMのバスターミナルを出発してからCasablancaの街が途切れる、つまり、建物のない畑などが広がるところに出るまで30分以上もかかった。他の町では5~10分もいけば山や荒涼とした大地や畑に出てしまうのだから、それと比べてもあらためて大きな街であることが分かる。
こんなに大きな街の中で地図も持たずに歩いて廻っていたのだから、目的地になんとか辿り着けていたのは、運が良かっただけなのかもしれない….!?
モロッコの人達にこの国の見所を尋ねると、返ってくる答えはだいたい「Fes、Marrakech、Essaouira、Sahara砂漠」など。Casablancaに対しては、「単なる都会で、旅人が見る様なものは何もない。」というのが一般的な意見の様だ。
しかし、それでも二人があえてこの街を訪れたのは、「Casablanca」という名前が持つある種の「色気」に誘われてしまったからかも。そこには、映画の力も多大に影響しているだろう。
この街で行った「名所」ですごかったのは、ハッサン2世モスクというイスラム教のモスクだ。規模もすごく大かったのだけれど、一番すごかったのはこのモスクの入場料。なんと120DH/1人(\1800)もするのだ。ここの宿代が二人で1泊115DHだから、二人分の宿代よりも高い!!高すぎるので、泣く泣く退散してきちゃいました….。
モスクの写真は追記のほうに。
今日は淳さんが体調不良のため、私が一人でおつかいに行くことになった。
いつも淳さんと一緒にいるので、モロッコに来てからの一ヶ月、一人で出歩く事は数えるほどしかなかった。モロッコ人は何かとスキンシップを迫ってくるから、一人となるとそこら辺がちょっぴり不安....。
近代的なビルの建並ぶ都会の顔を持つCasablancaにあっても、メディナ(旧市街)の中はやはり他の町と同じように「モロッコらしさ」があふれた場所であった。
まだ夜も明けきらないAM5:40に、バスはCasablancaのターミナルに到着した。この街ではひとつひとつのバス会社がそれぞれ別のターミナルを持っているらしく、会社によってバスが到着する場所が違っている。
二人は今回「Trans Ghazala」社のバスを利用したのだが、自分たちが今、Casablancaのどの辺りに到着したのか、地図がないから皆目見当がつかない。
仕方がないので、ひとまず日が昇るまでバスターミナル内のカフェで時間をつぶし、外が明るくなってくるAM7:00頃になってから宿探しへと動き出した。
地図もガイドも持っていない二人だが、「CTM」というモロッコ第一の主要バス会社のターミナルの側に安宿がありそうだという情報だけは事前に他の旅人から聞いていた。
だったら、その「CTM」でCasablancaに来ればよかったのだが、それをしなかった理由は単純にチケットが高かったから。しかし、そのチケット代の差額30DH(約¥450)をケチったために、この宿探しが思わぬ大捜索になってしまったのだ。
CTMのバスターミナルを探すために、いろんな人に道を尋ねたけど、人によって教えてくれる方向が違う。こっちだこっちだ、と言われた後に何分か探し歩いて、また他の人に尋ねると、あっちだあっちだ、と違う方向を指差される。まぁ、ここまではしょうがない。
宿で「斉藤さん」に手配してもらったGRAND TAXIに乗って、午前中はAit Ben Haddouを観光してきた。
同じ宿に横浜出身の大学生が泊まっており、3人でTAXI代をシェアする事ができたので、バジェット的には少し助かった。
PM1:00のバスに乗って、TinerhirからOuarzazateに移動してきた。
到着早々に現れた「斉藤さん」と名乗るモロッコ人に案内されたHotel Babaに泊まる事に決め、早速町を歩いてみたのだが…。この町、ホント何にもない。
お酒が禁止されているイスラムの人たちにとって、ミントティーは「ベルベルウィスキー」と呼ばれるほどの嗜好品になっている。
ポットを高々と掲げながらグラスに注ぐのが地元の人たちのやり方で、それによってTEAがグラスの中で泡立てば泡立つほど美味しいとされているらしい。
二人ともカフェやレストランで何度もミントティーを飲んでいるけれど、ポットを高く掲げると、どうしてもTEAがこぼれてしまう。
モロッコの人たちはさすがに慣れたもので、高々とポットを持ち上げながらも、とっても上手にTEAを注いでいる。
ポットに入るMINTの量も店によってまちまちなのだけれど、どちらかというと二人はMINTが少なめのほうが好み。
多いほうがより「MINT TEA」らしいんだろうけど、二人にはどうしても歯磨き粉の味に思えてしまって…。
コンパクトにまとまった、とても過ごしやすい町だと思う。
何よりも人がみんな親切で感じが良い(ベルベル人の商売人を除けば…)。
特に素晴らしい見所があるワケではないんだけれど、気を張らずにリラックスして過ごせる雰囲気が二人の好みに合っているのだろう。
トドラ峡谷からTinerhirまでグランタクシーで戻ってきたところで、トム&セリョンとはお別れ。
昨日の夜にはこれから行く町の宿についてもたくさん情報を貰ったりして、本当に最後まで一方的にお世話になってしまった。でも、そういった事をこちらに遠慮させる様なところがまったくない二人で、別れ際もとてもあっさりとした感じ。
そのさりげなさはかなりの気持ちの良いものだった。
私たち二人は今日はこのTinerhirに一泊する予定にしていたから、その後早速いつもの宿探しを開始。
昨日のバスで出会ったフランス人のトム&セリョンと一緒に、トドラ峡谷を散策してきた。
この二人は普段フランスアルプス山中のスキーロッジで働いているらしく、山については結構頼りになる感じの男たち。
普通なら舗装された道路を通っていきそうなところなのに、この二人に掛かるとトドラまでの5キロの道のりがちょっとしたアドベンチャーになってしまった。
今朝は何だかドタバタの旅立ちだった。
宿からRissaniまで行く「ベルベルバス」がAM8:30過ぎに出発すると聞いていたから、二人共AM7:00に目覚まし時計で起きて出発の準備を始めていたのだが、まだシャワーを浴び始めたくらいのAM7:15頃にノリコさんから「バスが来たわよ!!」って声が掛かった!?
ゆっくりロビーでバスを待つつもりだったのが、もう二人共大慌て。
急いで荷物のパッキングを済ませて、最後の別れの挨拶もそこそこになんとかそのバスに乗り込むことができた。
TAXIは一応ベンツだが、そうとうなオンボロ!!キーを回してもエンジンがなかなか掛からない。ところが、パワーウィンドウのボタンをガチャガチャ押すと…エンジンが掛かるのだ。どんなシステムなんだろう?とても疑問?
朝起きたら、宿にヒロユキ君が来ていた。
ヒロユキ君は、Chaouenにいた時に2人が夕食を食べに行っていたレストランで毎日のように顔を合わせていた東京からの旅人。かなり長期でアジア方面から旅をしてきており、2006年のドイツワールドカップはタイのバンコクでTV観戦したと言っていた。
そんな彼と久々に再会し、しばし宿のロビーで近況報告。私たちは明日ここを出発するつもりだったから、本当にギリギリのタイミングで出会う事ができた。旅のルートは人それぞれだけど、同じ様な旅をしている人たちは同じ様な情報を選び取っていくから、長い旅程の中では、こうしてそれぞれの道が交錯してくる事もあるのだろう。
この宿に来て、2人共生まれて初めてザクロを食べた。
最初はどうやって食べたらいいのかも分からなかったから、ノリコさんに教わりながら恐る恐る2~3粒を口の中に入れてみたら...美味しい!これはかなり美味しい!!
トウモロコシの様な食べ心地の後、口いっぱいに広がるジューシーでさわやかな甘さ。1粒1粒ほじくりながら食べるのが少し手間ではあるんだけど、その作業すらも楽しく感じ始める始末。東京では全然気にした事がなかったけど、日本で買ったら結構高いのかなぁ!?
この宿の、道を挟んで向かい側に住む家族の子供で、とってもカワイイ小さな女の子。
ノリコさんに良くなついていて、何かっていうと宿に遊びに来て抱っこされてる。2人も何度か抱っこしたけど、「アレッ」てくらい楽々と持ち上がってしまう軽さ。
そのまま小脇に携帯して、連れて帰っちゃいたいなぁ。
今日は天気も曇りがちだったから、一日中宿の周りでのんびり。この宿(Wilderness Lodge)は本当に居心地がよくて、もうほとんど家でくつろいでいるような気分。ご飯もとっても美味しいし、何だかこのまま出られなくなりそう・・・・!?
昨日の夜はとても深くぐっすりと寝る事ができた。砂漠に滞在した3日間で感じた以上に体が疲れていたんだと思う。
それでも、何とかAM8:00にはベッドを起き出し、今は修理中で水しか出ないシャワー(実際、ここでは湯が必要とも思わないけど)を浴びて頭を冷やしたら、何だか気分がリフレッシュした感じ。
今日は午前中の内に大学生2人とJ&Mの4人で車を一台チャーターし、Merzougaの町外れにある黒人たちの住む村に行ってきた。目的は、そこで彼ら(黒人たち)が毎日演奏している「ギナワミュージック」と呼ばれる音楽を聴く事。
星空を見上げながら、地面に敷いた毛布の上に寝転んでいるうちに、いつの間にか2人共眠り込んでしまったらしい。ニワトリが鳴く声で目覚めた時にはもうすでに空が少しずつ白んできているところだった。
眠っているときには気がつかなかったが、明け方の砂漠の空気は相当にひんやりしていて、体を毛布のなかにうずめてもなお、冷気が体に突き刺さってくる。
それでも、持ってきたジャンパーを着込みつつ、その毛布の中で丸くなって、テーブルマウンテンの上に昇っていく砂漠の太陽を2人でしばらく眺め続けていた。
そして、この太陽が昇ってくる方向はこれから行く予定のエジプトがあり、その先にはアジア、そして日本があるんだよな、なんて考えたりしながら、今こうして彼の地モロッコまできている自分たちの旅生活に思いを巡らせていた。
砂漠ツアー2日目。
昨日の夜はあいにくの曇り空のせいで、満天の星空を見る事は出来ず。朝もどうせ曇ったままだろうと、朝日の時間に起きなかったんだけど、実際には雲ひとつない青空が広がっていた。昨日の雲はどこへ行ったんだ!?
砂漠のど真ん中に張られたベルベル人のテントからごそごそと顔を出した頃にはもう太陽が顔を出していて、夜の間に冷え切ってしまった砂漠の空気を徐々に温め始めていた。
昨日、一昨日と夜連続で宿の屋上から見た満天の星空の迫力に興奮してしまったせいか、それともこれから向かう砂漠への期待によるものか、とにかく2人共昨日の夜は上手く寝付く事ができなかった。
そんな眠れない夜に、砂漠という未知の世界への思いをそれぞれにめぐらせながら、今日遂に砂漠ツアー出発の日の朝を迎えた。
メルズーガ3日目にして、ようやく「サハラ砂漠」に第一歩を踏み出す事が出来た。
おなかの具合も少し良くなり、天気はいつも通りの大快晴。というよりも、暑い!暑過ぎる!!?
真夏に比べれば過ごし易くなってきているらしいのだけど、それでも日中はとても外を歩き続けていられない状態。そんな中で砂漠に足を踏み入れられるワケもなく、動き出したのは夕方4:00過ぎになってから。
日が落ちて街が暗闇に包まれ始めると、そこから1個づつ星が姿を現しはじめる。
今は新月に近づいている時期なこともあり、街の灯りが消える頃には空一面に満点の星たちが…。
宿の屋上に2枚のマットを並べて敷いて、仰向けに寝転んで2人で空を見上げていると、何だか自分たちの存在自体、この宇宙の中では本当に小さな存在でしかないんだという事が感じられてくる。
星座を探すとか、そういう事すら忘れてしまうくらい圧倒的な数の星をぼんやりと眺めるこんな時間が、こういう旅に出ることの「意味」をある部分では象徴しているような気もする。
それにしても、この星空はホント、凄い!!
この街にくる夜行バスの中で夜中に目を覚ました時、窓の外に今まで見たことのない数の「光」が広がっていた。その「光」が何を意味しているのか、寝起きの頭では一瞬分からなかったくらい、その星たちの放つエネルギーは凄まじいものであった。
Fes以北では見ることの出来なかったこの素晴らしい世界、本や人から聞く話の中だけで「理解」していたその世界を、バスの中で目を覚ましたあの瞬間に、現実のモノとして身体で感じることが出来たのだとおもう。
今、目の前に広がっているこの空のそれも、色あせることなく2人にその感動を伝えてくれている。
写真でお見せできないのが残念ですが…。
遂にサハラ砂漠の目の前までやってきた。
バスは早朝6:30にRissaniという町に到着。降りると同時に群がる客引きたちを振り切り100mほど離れたタクシー乗り場へ。
この頃からMの腹の様子が少しずつおかしくなってきた。乗合いタクシー乗り場に到着すると、今度はそのタクシーのまわりに「交渉人」たちが群がっていて、通常タクシー料金の倍以上の額をふっかけてくる。タクシーの運転手は英語が話せないから直接交渉してもらう事ができず、結局この「交渉人」たちと金額交渉するしかない状態。こっちは腹の調子が悪いってのに…..。
ここの宿は、その昔Fesの王様が暮らす宮殿だった建物を使っているらしく、昼間は宿泊客以外の観光客がGardenなんかを見学しに来ている。
現在では一部が安ホテル、一部は民家として機能している様子だったが、当時のままの建物を全く改装せずに使っているから造りは相当ボロくなってきている。
ちゃんと手入れをしてあげれば安ホテルじゃなくて、もう1ランク上のホテルとしてでも使えそうなのに…。
二人の部屋の隣には一組のモロッコ人家族が生活していて、ここの子供たちが人懐っこくて、とってもカワイイ。
部屋の扉を開けていると必ず中に入ってきて、空手ごっこやら手品(のまね)やら、ほっとくといつまででも遊んでいる。おかげでこっちは汗だくのヘトヘト…子供ってホントに体力あり余ってるって感じだね。
ちなみにJは今日が誕生日で、ついに30の大台に突入!!ラマダン中だから、ビールも飲めなかったけれど、屋台のいわしフライでひっそりとバースデイ祝いをしました。
今日は昨日と違って天気も良く、太陽がサンサンと照りつける中、旧市街をダラダラと歩き廻っていた。
途中で、前から見たいと思っていた「なめし皮」工場を見学して、SHOPでもモロッカンチェアをひとつ購入。金額は交渉の末に最初にいわれた額の3分の1にまで下がったけど、そんだけ下がると、逆に本当の価値がわからなくなってくる...。でも、キャメル革のナチュラルな色合いがとってもよい具合で、使うほどに味が出てきそうな感じ。モロッコからの郵便でちゃんと日本に届くのかが一番心配かも。
いつものCAFÉで朝食をすませて、AM11:00頃にバスステーションへと移動。AM11:45発のFes行きのバスのチケットを購入したんだけど、実際にバスが動きだしたのはPM0:45過ぎ…。しかも出発してすぐの道がマーケットでごったがえしていて、車がつまって全然動かなくなっている。ポリスもしっかり居るんだけど、役に立ってる気配はなし…。
同じホテルに泊まっているモーガン(ニュージーランド人)が今日Fesへと出発した。
最後にCAFÉで一緒にお茶をして、お昼過ぎにSAY「Good Bye」。
J&Mも明日Fesへ移動する予定だからどこかでまた会えるかもね。
今日もまたまた山登り。
天気が曇っていて、気温がグンと下がっていたから、これは絶好の山登り日和だと思い、再度てっぺん目指し登り始めた。前回までは2度ともお日様の暑さにやられて中腹あたりでGiveUp...。でも今日は涼やかな風に吹かれながらどんどん山道(ほんと、岩だらけの凸凹道)を上へ上へと登っていき、気づいたら辺りには鳥の声しか聞こえないような荒涼とした台地に二人ポツンと立っていた。
さっきまでいたChefchaouenの町が手のひらにおさまるくらい小さく見える。
そんな景色を眺めながら、お菓子と水でささやかなお茶タイム。
こういうのって、なんてゼイタクな時間なんだろう。
こっちの人の服装って、何だかみんな「スターウォーズ」に出てきそうな感じ。
とんがりフードの衣装を着た人を見かける度に、2人で密かに「YES, MASTER」ってつぶやいてる・・・。
今日、宿で仲良くなったホセっていうスペイン人と話をしてたら、
彼曰く「CHEFCHAOUENがモロッコで一番美しい場所だと思う」らしい!?
10年位前からモロッコには来ているけれど、毎回必ずこの町には来るんだって言ってた。
2人にとってもそうなるかはまだ分からないけど、実際ここは本当にキレイな所だと思う。
周りの自然も、山の斜面に建ち並ぶ街並みも、全てが旅人を優しく包み込んでくれる。
世界には、自分たちが知らない素晴らしい場所や出来事がたくさん存在している。
それをこうやって少しずつ、時には偶然に知っていく事ができるのも、こういう自由な旅の大きな魅力の1つだろう。
自分たちの予想もしない様な場所で、考えてもみない様な素晴らしい体験が出来る事を、これから先の世界にもどんどん期待していきたいと思う。
朝食をいつものCAFÉで食べた後、水とお菓子をもって今日は町の裏手の山道を登ってきた。 道をどこかで間違えてしまったらしく、山のてっぺんまでは行けなかったけれど、中腹からでも十分CHEFCHAOUENの町を一望に見渡すことができた。
木陰に座って、それぞれ本を読んだり景色を眺めたりしながらのんびりとした時間を楽しみ、途中からは近くに住んでるカリムって子供と絵を描いたり折り紙(鶴)をおったりして何だかんだと夕方まで遊んでた。
ALGESIRAS(SPAIN)から行動を共にしてきたリー君とも今日でお別れ。
最後にcafeで朝食を一緒に食べた後、FESへと移動する為バス停に向かうリー君を町外れまで見送ってきた。
昼前まで眠った後、メシを求めてリー君と3人で広場にあるレストランへ。(リー君は朝早く起きて、朝食も済ませていたけど・・・。)
モロッコスープとモロッコティーを注文してみたけど、どちらも味付けは微妙な感じ・・・。食べた店が悪かったかな!?
気を取り直して、その後はいつも通りの街歩きを開始。
AM9:00にバスがALGESIRAS(SPAIN)の港に到着。
昨夜のバスは途中セビーリャで乗継ぎまであった為、2人共ほとんど眠る事が出来ず・・・。
何だか妙に疲れた状態の中、とにかくまずはTANGER(モロッコ)行きのフェリーチケットを確保せねばと、チケットオフィスの中に向かった。