「Zanzibar。」
埠頭から正午発のフェリーに乗込んで、Dar Es ~沖に浮かぶ小島“Zanzibar(ザンジバル)”へと向かった…。
埠頭から正午発のフェリーに乗込んで、Dar Es ~沖に浮かぶ小島“Zanzibar(ザンジバル)”へと向かった…。
Dar Es Salaamの市内からダラダラ(乗合ミニバス)を乗り継いで、約2時間。日帰りで、Dar Es~ 北西にある海辺の小さな町「Bagamoyo(バガモヨ)」へ行ってきた。
AM7:00、Dar Es Salaamでの宿となる「YWCA」に到着。1階の食堂でしばらく待ったあと、受付のオバちゃんに頼んでチェックインを済ませると、2階の小奇麗なTwin Roomに重たい荷物を下ろした。
Tazara(タンザン鉄道)移動生活の3日目。今日もちょくちょくと長時間停車をしていて、列車はなかなか予定通りには前に進んでいかないようで…。
日本では“タンザン鉄道”の名で知られる、Tazara(タザラ)。昨日の夜8時にZambia(ザンビア)側の始発駅“Kapiri Mposhi(カピリムポシ)”を出発した列車は、2日目の昼を過ぎた今もまだZambia国内を走り続けている。
二日酔いで痛む頭を押さえながら、2人はAM10:00発のバスに乗ってLusaka(ルサカ)からKapiri Mposhi(カピリムポシ)へと向かった。
Cha Cha Cha Backpackersで同じ宿に泊まっているジャーナリストの“モリテツさん”を囲んでの、夕食&飲み会in Diane(笑)。
Livingstone(リビングストン)の宿。今回もキャンプで、料金は1人1泊US$3です。
翌朝10時過ぎに列車はVictoria Fallsの駅に到着した。重い荷物を背負いなおし、歩いて国境の出国審査所を目指す…。
Bulawayo(ブラワヨ)から、Victoria Falls(ビクトリアフォールズ)へ。
Harareを出てから3日目にして、ようやくGreat Zimbabweにやって来ました。
最初、Harareの家でSolomonと話していた計画では、初日のうちにこの遺跡見学は終わっているハズだったんだけど…。あいつが特別なのか、Zimbabwe人がみなそうなのか、とにかくやたらと段取りが悪いのである。
疲れまくりの旅から1夜明けた今日、朝早く起きて外に出ると、そこには長閑で穏やかな“Zimbabwe的正しい田舎の村生活”が広がっていた…。
Harareでの日々にも別れを告げ、ここから北のKariba(カリバ)、さらにZambia国境へ…と思っていたのだけれど、昨日の夜にSolomonさんにそそのかされまして…。
今日は、これまたCape Townで熊さんに教えてもらった“Art Village”を訪ねることに。
…そういえばここに来る前、Harareの町をバスターミナルへ向かって歩いている途中、Solomonさんという片言の日本語をあやつるジンバブエ人に“再会”しました。
朝、いつも通り8時前に目を覚ました2人は急いで出発の為の荷造りを終え、その荷物はその場に置き去りにして忙しく外へと出掛けて行った…。
ここに来て1週間がたち、2人のムビラも昨日の朝ついに完成した。練習はまだまだ始めたばかりだけど、そろそろ旅を再会しないと…。
いよいよ2人の為のMbira製作も開始され、家の作業場はなにやらトンカチと騒がしくなってきた。そいつを眺めているだけでもなかなか楽しかったりするんだけど、その一方で女性陣からの「お出掛けの誘い」なんかもあったりして、昼間は町に出かけたりも…。
Mbira(ムビラ)合宿2日目。
2人にあてがわれた部屋のベッド(と言ってもマットレスはなく、ベッド状の板の上に2人並んで寝袋敷いて寝てる)で目覚めると、外では既に、ガリカイ氏の奥さんが皿洗いなどの家事をこなしている音が聞こえている…。
昨日、宿のオーナーに電話をしてもらって、Mbira(ムビラ)Playerのガリカイ氏とコンタクトを取った。ガリカイ氏は国際的にも有名なムビラ奏者で、彼の名前はCape Townで出会った日本人ムビラ奏者の熊さんから教わっていたのだが…。