昨日、一昨日と目一杯遊び廻っていたので、今日はそんな酷使された体の疲れを癒すために、この近くにあるBanos(温泉)へ行ってきました。
2人が小休憩をしたSmall Lakeから先は、また30分くらい、湿原というか、小川の流れる大平原が続いていく。だだっ広い、黄金色の大地だ。
AM5:30に鳴らした目覚ましの音に、最初はなかなか気付く事ができず…。
徐々に耳の中へと入り込んできたその“音”に気付いて、寝ぼけながらスイッチを探した。
もう、朝になってしまったんだ…。
この遺跡はプレ・インカ時代の遺跡としてはかなり古いもので、紀元前1000年頃につくられた古代の「宗教都市」遺跡であるらしい。ユネスコ世界文化遺産にも登録されている。
朝、到着してすぐの朝食を美味しくいただいた後、そのままTeo(宿のツアー・登山に関する相談担当のおじさん)のミニバスに乗せてもらって町の中心へと移動。
Mony Travelという会社が運行しているAM9:00発のツアーバスに乗り込んで、初日からいきなり「Chavin de Huantar遺跡ツアー」に参加してきた。
目を覚まして窓の外を見ると、切り立つようにそびえる山々の手前に、ぼんやりと霞んだような湖が見えた気がした。
早朝の“紫がかった”幻想的な色彩の中で、その湖はあまりにも美しすぎるようにも見える。何だ、これは本当に湖なのだろうか…。
ゆっくりと朝寝坊をして昼前に起床し、CATVのNHKチャンネルで朝ドラ「瞳」の最終回を見ながらゴソゴソと荷造りをし始める。
そして、12時のチェックアウト時間ギリギリに部屋から出ると、とりあえずその荷物をロビーに預けて外に飯を食べに出かけた。
夕方、ちょっと用事で出掛けてきたTrujilloの町から帰ってきたら、浜ではちょうど、「トトラ舟」での漁を終えた男たちが帰ってきているところであった。
Huanchacoの夕日は、いつも水平線より少しだけ高い場所で薄い雲に隠れるようにして消えていってしまう。僕らはいつも、それを宿のテラスや海岸から眺めているのです。
朝8時過ぎにTrujillo(トルヒーヨ)の宿をCheck Outし、バックパックを担いだ状態で近くの大通りから小さなコレクティーボに乗り込んで一路Huanchaco(ワンチャコ)へ。
AM9:00過ぎには海辺に建つ真新しい白壁の宿「Hostal Rubalong」のOcean Viewの部屋へと移ってくることができた。
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朝は近くのCiber Caféでブログ作業を行い、午後になってから宿を出てバスターミナルへ。
そして、ペルーとの国境方面へ移動するため、まずはここより太平洋側にあるMachala(マチャラ)という町行きのバスに乗るつもりだったのだが…。
今日は日曜日。ほとんどのお店がお休みだから、Cuencaの町も、通りも、何だかひっそりと静まりかえっている。
Cuenca(クエンカ)周辺に点在するインディヘナの村々で日曜日に開催されている「市」を巡りに出掛けてきた。
朝、シャワーを浴びる段階になって、「Agua Caliente(お湯)」があまり出ないことに気がついた。昨日は移動で疲れてすぐ寝てしまったため、Mは移動の汗をどうしてもお湯のシャワーで流したかった様子。
予定通りの3泊の滞在を終え、早朝出発で次の町へと移動を開始。
今回は短い滞在だったけれど、盛りだくさんのとても充実した日々だったと思う。
赤道記念碑のオフィスからは「近くにある火山のクレーター&その中に住む人々の村見学ツアー」が毎日数回出ており、約1時間半のそのツアーにはUS$8で参加することが出来る。2人は12時の回に参加して、他の参加者と共にツアーバスに乗り込んだ。
コロンビアのPASTO(パスト)からエクアドルのQUITO(キト)へバスを乗り継いで移動してきた時、いつの間にか知らずに通り過ぎてしまっていた「Equador(赤道)」のラインを改めて確認するため、QUITO近郊にある「赤道記念碑」という所を訪ねてきた。
部屋でベッドで本を読んでいると、部屋の入り口のドア(すりガラスになっている。)に人影が!なんだろうと、ドアを開けてみると、遠ざかる人影と“キャッツアイ”からの手紙がドアに挟まっているのが分かった。
“教会建築巡り”だけじゃなく、とにかく1日中Centroの街を歩き回っていたのだが、そんな街歩きの合間合間に「Basilica de Voto Nacional」のようなQUITOの街を一望できる素敵なスポットをいくつか訪問してきた。
インカ帝国時代の都として栄え、その町並みが世界文化遺産にも登録されているQUITO(キト)のCentro(旧市街)には、たくさんの魅力的な教会が点在している。
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国境を越える日の朝、AM7:00に目を覚ますと、2人ともいつもより素早く着替えを済ませて宿のそばにある馴染みの(2回しか行ってないけど。)Caféへと向かった。
窓の外では、音もなくシトシトと冷たい雨が降り続いている。
Pastoの町の外側に連なる山々の佇まいが気になって、今日1日をこの町とその周辺で過ごすことに決めていたのだけれど…これじゃ、ゆっくり通りを歩くことすら ままならない。
Popayanから更に6時間ほど南に下って、Pastoという山間の町に移動。
ここはエクアドルとの国境までバスで1時間半くらいの距離にあり、思い立てば今すぐにでもエクアドルに入れてしまうくらいの場所である。
朝、ゆっくりと起きて身支度を済ませ、更に南へと移動を開始。
宿を出る前に同宿のオランダ人Paulからブラジルについての情報をもらい、南米での旅に更なる期待が膨らんだ。Paulはブラジルを5カ月かけて旅してきたようだが、写真を見せてもらっていると、アマゾン周辺のアクティビティがなかなか楽しそうで景色もすごい。
お金は掛かるだろうけど、やはりブラジルも見たい所がたくさんありそうだな…。
San Ciprianoの村に到着すると、入口で“入村券”を購入することになる。
これが1人1500ペソ。高くはないが、村に入るのにチケットって、何だか変な感じ。
7時に目覚ましを鳴らしたのに、身体がどうにも起き上がってこない。
ベッドが気持ちのよい硬さなのもあるし…やはり疲れがたまってもいたのだろう。
結局、昼前まで“ひと眠り”してしまった後、バス旅用に持ってきていた揚げ物類で簡単な朝・昼食を済ませ、ようやく太陽の光りが降り注ぐ“真夏の世界”へ。
それでもカルタヘナの様な湿気はなく、日陰に入ると涼しさを感じるような、比較的すごしやすい気候であるようだ。
昨夜、PM9:00発の夜行バスに乗り込んで、2人は次の町「Cali(カリ)」へ移動してきた。
宿に雨具を取りに帰った途端、さっきまでの雨がすっかり上がって、
眩しいくらいに太陽の光が射し始めた。
なんだ、せっかく身支度しなおしたのに…。
朝、昨日の残りのピザをレンジで温めて食べ、腹いっぱいになったところでBogotaの街へと繰り出した。
7時に宿のスタッフにTAXIを呼んでもらい、町の中心にあるBus Terminalへ。
朝、宿のトイレに行っている間にTAXIを呼んじゃってもらおうと思ってたんだけど、
「電話をすると1分で来ちゃうから、トイレ出てから電話してあげるよ。」だって…。
朝起きると、昨日にも増して良く晴れた青空が窓の外に広がっていた。
馴れない登山で疲れてしまったのと、濡れた衣服を洗濯するためという口実もあり、Mountain Houseにもう1泊させてもらうことにした。
傾斜した大地を踏みしめる2人の足の下に積る雪が、次第にその深さを増してくる。
4800m地点の登山口を出発した一向は、クラウディアの歩調に合わせてゆっくりとNevado del Ruizの山肌を登っていく。数メートル、数十メートル進む度に小さな休憩をはさみながら、「Muy Bien!!」という決まり言葉で皆を励ますクラウディアの声にそそのかされつつ、徐々に“上”へと移動していくのだ。
朝、AM7:00にピックアップしてくれる予定だったTour Busは、当り前のように予定時刻を30分遅刻して、2人を含めたMountain Houseからの参加者5人をその小さな車体の中へと押し込めた。
マニサレスは標高2000を超える高地にある町で、起伏の激しい土地に貼りつく様に広がっている。
今日、コーヒー農園から帰ってきたあと、バスターミナルから町の中心にある教会「Cathedral De Manizales」へと向かい、南米2位(らしい)の高さを誇る106mの尖塔のてっぺんから町の全容を見渡してきた。
到着以来、マニサレス周辺の天気は本当にキリッとしなくて、いつも分厚い雲が空を覆っている感じなのだが、意を決して出掛けてきた今日は、農園を歩いている時だけ温かい日差しに恵まれることとなった。こういうのは、やはり日頃の行いなのでしょうか…。
朝、AM9:00に宿を出発し、CASA KIWIから同宿のイスラエル人エヤルと3人でChinchinaという所にあるコーヒー農園へと出かけてきた。
朝から、曇り、のち雨、のち雷雨…。
自然とふれあうには、すこし天候がよろしくないです。
前回の「カルタヘナ~メデジン」は夜行バスでの移動だったが、今回のManizales(マニサレス)行きは昼過ぎのミニバスに乗って、Day Timeの移動となった。
明日の移動に備えて、今日は宿の近所で買い物やら、何やら、かんやら。
特に何もしなかったってことだけど、コーヒーだけはいつも忘れず飲んでいる。