ポカラ周辺に散らばる「展望スポット」の1つ「サランコット」への、日帰りトレッキング。最初は朝早めに出ようと思っていたんだけど、昨日と同じ店でパンとコーヒーの朝食を食べていたら、思わずゆっくりと寛いでしまって…。結局、歩き始めた頃には昼近い時間になってしまっていた。
ポカラの町の周辺には日帰りで訪れる事の出来る「絶景ポイント(山の上)」がいくつかあるのだが、そんな場所に向かう事もなく、1日、町の周辺で過ごした。
Kathmandu(カトマンドゥ)から西へ約200km。ネパール第2の都市であり、アンナプルナ・トレッキングの起点ともなるペワ湖畔の町、『Pokara(ポカラ)』へ。
Kathmandu(カトマンドゥ)に戻って来た。
昨日は“早朝移動の疲れ”を感じる暇がないくらいに町を歩き回って色々と用事をこなして、何だかあっという間に短い1日が終わってしまった。だから、今日はゆっくり心と身体を落ち着けようと、朝からまずは「Chikusa」に向かう。ここの厚切りトーストでコーヒーを啜ると、まるで“家に帰って来た”ような安らぎが…。
早朝の国境越えで、Birganji(Nepal)からRaxaul(India)へ。リクシャを使って国境を越えていく人が多いようだったが、2人は歩いて行くことを選んだ…。
今日の夜のバスでKathmandu(カトマンドゥ)を出発し、明日の早朝にはインドとの国境に面した町「Birganji(ビルガンジ)」に到着することになる。国境越えは、夜明けと共に…、という感じになるだろうか。
Kathmandu(カトマンドゥ)の南にある古都、Patan(パタン)。バスに乗ったら30分も掛からない距離にあるとても有名でアクセスしやすい“見所”なのに、Nepalに入国して1ヶ月近くたった今、2人はようやく訪れる事が出来たのです…。
Kathmandu(カトマンドゥ)にある、オーダーメイド専門のJeans Shop。別にJeansだけじゃなくって、頼めば何でも作ってくれるみたいだけど。
山の垢をしっかり落としたくて、下山初日の宿泊場所には風呂のある宿「Fuji Hotel」を選んだ。しかも、共同シャワーの安い部屋じゃなく、室内にバスタブの付いたUS$30の部屋である。湯船に浸かって寒風にさらされ続けた“山帰りの身体”をふやかし、垢スリタオルで身体を擦ると…。もう、これはトルコのハマムにも負けないくらいの確かな“手応え”で、2人とものぼせるまで長々と風呂に入り続けてしまった。
Kathmandu(カトマンドゥ)に戻ってきた。最後は何だかあっけないくらい簡単に全てがトントンと進んでいって、どこからともなく目の前(ルクラ空港)に現れた“Sita Air(セスナ)”の姿を見た時には、「おぉっ、も、もう来たの!??」…と、逆にちょっと2人して戸惑ってしまったくらいであった。
再び昨夜の出来事からになるが、夕食の時、ダイニングで相席したカナダ人カップルと話をしていたら、「ここに来ている日本人は、ほとんどが年配の人ばかりだね。」という話題になった。
カトマンドゥ行きのセスナ数機がLukula(ルクラ)の小さな空き地的空港に滑りこんできて、僕ら2人を置き去りにしたまま、再び空の彼方へと飛び去っていった…。
再び、下山開始。標高3440mのNamcheから、2800mのLukulaを目指す。地図上の直線距離でみて11~12kmというところだが、途中のアップダウンを考慮に入れると、実際の歩行距離は更に長くなってくるだろう。往路では2日かけた道を、6~7時間で下ろうというのだから、それなりに体力を使う事になるはずである。
今日、空港のある町Lukula(ルクラ)まで一気に下ってしまうつもりだったのだが、この5日間ほどその辺りを覆い続けた悪天候の影響により、その間全くセスナが飛んでいなかったらしく、「今、下(Lukula)に行ってもカトマンドゥ行きのフライトは500~1000人待ちの状態で、Hotelも満室だらけだから、あぶれた奴らはみんなテントで寝ているよ。」という、嫌な噂を耳にしてしまった…。
昨夜、ダイニングルームで隣りの席に座ったイギリス紳士風のおっさんが、「地図にはKalapattharの標高は5545mって書いてあるけど、俺の持ってきたGPSによれば、山頂付近は5645mになってたよ。この地図、何か間違っているんじゃないか?」…と、大きな声でがなり立てていた。本当だろうか…。まぁ、こんな町や世間から遠く離れた山奥の大自然の中でなら、何があっても全くおかしくないような気はするが。
AM3:00頃、同宿の慶応大学ワンゲル部OBのみなさん(平均年齢67歳)が、Kalapattharで朝日を見る為、標高5000mの闇の中へと出発していく物音が聞こえた。
寝袋の中から手を伸ばして、傍の窓に掛かる小さなカーテンを開けてみると、ガラス一面にびっしりと張り付いた霜が、その白いベールで外の風景を完全に覆い隠してしまっていた。マイナス20℃対応の寝袋の中に包まっていても、痛いくらいに冷たい外気が少しのスキマ目がけて入り込んできてしまう。AM5:15。既に隣りの部屋からは、忙しそうに身支度を整えるトレッカーたちの控えめな物音が聞こえてきている。この寒さの中で寝袋から出るのはかなりの決心を必要とする作業だが、仕方ない、そろそろ2人も出発の準備を始めないと…。
AM6:40起床。目覚まし時計はAM6:15に合わせてあったのだが、寒さで寝袋から抜け出すことが出来なかった。そしてもう一つ、窓の外に広がる朝方の空が分厚い灰色の雲に覆われていたという事も、2人の“やる気”を削いだ原因になっていただろうと思う。この寒さと、この雲行きなら、いつ雪が降り出してもおかしくないような気がするくらいだ。
AM7:30、目覚まし時計の喧しい音で、浅い眠りから覚めた。寒い。ダイニングルームの温度計は5℃を差していたが、多分、各個室内の温度はもっとずっと低かったんじゃないだろうか…。
AM6:00起床。いつもより早く起きた理由は、昨夜、ホテルのダイニングルームで盗み聴きしたシェルパの話…「明日のDingboche(ディンボチェ)行きルートを歩く為には、遅くともAM7:30にはここを出発した方がいいですよ…。」日本語を話せるシェルパが日本人登山客に説明していたため、その理由は分からないながらも、やけに鮮明にその言葉が頭の中に残ってしまっていたのだ。そうか、早めに歩きだすべきなのか…。
今日も、AM7:00起床。やはり天気は快晴である。
とはいえ、過去3日間の空模様を見て来た限りでは、午前中の晴天が午後遅くまで続く確率は、低い。平地~下りが多いハズの前半戦で、何とか距離を稼ぎたいところだ。
AM7:00起床。宿泊している「Yak Hotel」のダイニングルームで、ヌードルスープだけの
朝食。Hotelの食事メニューの料金はどれもかなりお高いのだが、食事をHotel内で食べるという事が宿泊の際の「絶対条件」になっているため、どのHotelに泊ったとしても、朝食/夕食は宿付属のRestaurantで食べなければならないのである。
AM8:30、Phakding(パクディン)を出発。今日も天気は快晴で、朝方は随分と冷え込んでいた山の空気も、太陽の高度が上がるのにしたがって、グングンと暖かくなっていった。
カトマンドゥの町で空港行きのTAXIを拾ったのは、AM5:30を少し廻った頃。空港までは約30分。夜が明ける前の暗がりの中、TAXIが到着した国内線ターミナルは、「…ここ、かな。空港って…。」と、納得するのに少し間があいてしまう感じの、何だかとても小さくて、非常に質素な造りをした建物であった。
今日もお祭り。でも、昨日とはまた違う種類の“祭”の日であるようで、今日は「商売の神」だか何だか、つまりは“お金”を奉る日であるらしい。んっ、いや、それは昨日だったっけな…。それと同時に今日は“犬”もまた何かの具合で奉られているらしく、首に花飾りをした可愛らしい犬たちが、その辺をキャンキャンと駆け回っている。
来週から予定している「エベレスト街道トレッキング」に備え、徐々に“道具”を揃え始めようと、町を徘徊してネパール名物「偽アウトドアブランド用品」を漁りに出かけた…。
結構、毎日のように停電する。時間が決まっているのか、いないのか、それでも町の人にとっては「いつもの事」だから用意も周到で、宿でも停電するとすぐにロウソクの火が灯ることになる。2人も受付で1本もらって、他のロウソクから火を貰いつつ部屋の中へ。やっぱり、なかなかいいものですよね、ロウソクの明りって。
午後、再び福田さんに連れられて、カトマンドゥのシンボル「スワヤンブナート」へ向かった。ここは通称“モンキー・テンプル”とも呼ばれる程に多くの猿が生息しているお寺で、高台に建つその寺の境内からは、カトマンドゥの街並みとその周囲に広がるヒマラヤ山脈の雄大な風景を一望のもとに見渡すことが出来る…。
“儀式”を見たあとは再びタクシーでの移動を開始し、Kathmandu(カトマンドゥ)に戻る途中にある村々をいくつか見て廻ることとなった…。
富士ホテルに泊っているお客さんの中には年配の“ネパール熟練者”も多く、皆とても親切に「トレッキングの極意」や「ネパールの魅力・過し方」などについて物語ってくれる。
昨夜、Nepal(ネパール)の首都Kathmandu(カトマンドゥ)に到着した。昨日は夜中に近い到着時間だった為に外の様子が良く分からなかったのだが、一夜明けた今日、ホテルを出てその先の細く入り組んだ通りを歩きだすと、そこにあるのは紛れもなく、あからさまなほどの「アジアの喧噪」で…。