「空へと続く道。」
Huayna Pichu(ワイナピチュ)から下山した後、ツアーガイドから渡されていた“ランチBOX”でお腹を膨らませ、遺跡の中を歩きながら少し身体と心をリラックスさせる。
そして、お昼を廻る少し前に、今度は「マチュピチュ山」登山をスタートした。
何度も書いているように、ここのところ毎日歩きずくめだったから、そろそろ気持ち的にも「登る」・「下る」という事に対して拒絶反応が出だしてはいたけれど…
この山に登る事は前々から決めていたことだったし、「Putukushi」・「Huayna Pichu」・「Machu Pichu」の3つの山を制覇して初めて、2人のマチュピチュ観光が完成(!?)するような気分になっていたから、まさに身体にムチ打って、登る覚悟を決めたのである。
遺跡のある場所の高さからは、標高差で約700m。マチュピチュサイドの表示によれば、片道約2時間の道程である。
「また登山か…マチュピチュって、常に登らされる場所な感じだなぁ…。」
そんな気持ちを2人とも胸の奥にしまいつつ、とにかく黙って再び山道を歩き続ける。
事前に聞いていたところでは、このマチュピチュ山に登る人の数はワイナピチュなんかに比べて圧倒的に少なくて、しかもその道のりはさらに厳しいものであるということだったが… 確かにここは人気の極端に少ない山道で、鳥や虫の声だけが、よく晴れた空と空気の中に響き渡っているようである。
それでも、たまに上から降りてくる登山客にその道程について尋ねてみると、
「俺は途中で引き返してきちゃったから…。でも、かなりキツイ登り坂だと思うよ。」
なんて、途中棄権者続出というあまり聞きたくない現状が明らかになってきてしまった。
「そんなにキツイのかぁ…。」
そうはいっても、2人とも一度登り始めた道を、途中で引き返す気にはどうしてもなれない。
この道自体のキツさ以前に、これまでの疲れによる脚の痛みやら何やらかんやらがとにかく辛くはあるのだけれど、これさえ終えれば、全て終わる事になるんだから…。
何かのオマジナイかのようにそんな事をボソボソと口走りながら、2人してひたすら足元をみながら上を目指して歩いて行く。すると、さらに上の道すがらに通りがかったトレッカーから、「あと20分くらいだと思う。頑張って登ってよ。」
という、とても有難い、とても素晴らしいお言葉をいただいたのである。
俄然、元気が込み上げてきた2人。
さっきまでよりも幾分大きくなった歩幅が、その気分的な高揚度を示しているようである。
それでも実際には20分ではまだ辿りつかなかったのだが、その辺りまで来ると今度は徐々に見え始めた山頂付近の「接近」が2人を新たに勇気づけ始める。
「行ける、もう少し、もう少しだって…。」
そして、もうそこまで最頂部が迫ってきた辺りになると、急に周囲の景色が拓けて、まるで空の上を歩いているかのような錯覚を覚える階段状の小道が姿を現したのだ。
「なんだこれ…またこんなすごいとこ来ちゃったよ…。」
呆然としながら、その草花が咲き誇る青空の下の素敵な小道を2人で一緒に通り抜けて、その先の階段を数段登ると…遂に、2人は目指す山の頂へとたどり着いたのである。
ここではもう、マチュピチュの遺跡なんて、本当に小さく小さく、下の下の、本当に下の方に見えている。そして、その周囲を取り囲んでいるように見えていた山々が、全て目の下の景色の中に収まってしまっているのである。
これまた、絶景というしかないような素晴らしい風景だ。
「何か、今回のTourでは色々な事があったけど、結局、最終的には全部上手く行ったような気がするね…。」
ようやく、2人のマチュピチュ紀行が、ここで終わりを迎えた気がした。
この後も下山してから少し遺跡を見て回ったけれど、2人にとってはこの、マチュピチュ山の山頂でのひと時が、このTourの最後だった気がする。
マチュピチュは、もちろんその中身自体も興味深い事実ばかりだろうけれど、やっぱりこの場所に建てられたという「シチュエーション」の美学が何よりも素晴らしいと思った。
帰りの道も、動きの重い身体とは裏腹に、気持は何だか充実していたみたい。
登った時とはまた違うマチュピチュの姿を見下ろしながら、すれ違うトレッカーたちに
「もうすぐそこだから、絶対登って山頂の気分を味わってください。」
なんてエールを送ったりして、ゆっくり、ゆっくりと遺跡まで戻っていった。
明日の昼過ぎの列車に乗るまで、もう1泊ここAguas Calientesに泊まる予定。
温泉に浸ったり美味しい料理を食べたりしながらとにかくゆっくりと身体を休めつつ、ここにいる間はこのマチュピチュの思い出にじっくり浸っていようと思います。