02 February, 11

「Photos。」

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4年近く様々な国を巡り歩いてきた2人の旅の日々を、毎日欠かさず写真に撮り続けてきた。トータルすると一体どれくらいの枚数になっているのか、今では想像も出来ないくらいだけど…。

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「写真を撮り続ける。」という行為を考える時、映画「Smoke」の中でハーヴェイ・カイテルが演じた中年男の事を、いつも思い出す。“彼”は、自分の持つ店の建つ“何でもない町角”を、毎日「同じ時間」に「同じ角度」で写真におさめ続けていたんじゃなかったか。

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…“それ”と自分が旅の日々を撮り続けてきた行為とでは、意味も作業の性格も全く異なってはいるのだが、撮っている対象の大半が「何でもない風景」であるという意味では、似た所が無くもないんじゃないだろうか。

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確かに、部分部分をとってみれば、エンジェルフォールはもの凄い風景だし、ポタラ宮の壮大な姿は常軌を逸した威圧感で非日常的な風景を作りだしているとは思うけど、そういうモノを撮る瞬間というのは、旅の全体にしたら実はそう多いものではない。

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その合間あいまに撮る「旅の日常」や各国各地の町角の風景というのは、ひとつひとつを眺めてみればなんて事のない“対象”ばかりな気がするのです。それはつまり、“人”であり、“メシ”であり、“生活”である。何でもない木や花や水や雲であり、どこにでもいるような小さな動物たちである、と思う。

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そして、結局、本当に好きな写真や気に入った写真は大抵いつも、そういう「普通の風景」を撮ったもので、自分自身がそういう「性向」を持っているから、『Smoke』の中のハーヴェイ・カイテルの撮る写真に、憧れの様なものを感じるのだろう。

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とはいえ、“彼”のように「毎日同じ場所の同じ写真を撮り続ける」というような事は絶対に出来ないと思うけど(旅することはまだまだやめられないし…。)、町やそこに住む人々の“何でもない様な表情”はこれからもずっと撮り続けていきたいし、また、それを出来るだけ自然に撮れるようになっていければいいなぁって、そんなことを思っています。

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爆竹の後カス。

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洗濯もの。

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黒いバケツ。

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旧市街そばの街角。

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わんこ。小さめ。

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シャングリラ…。

コメント

hey,I'm the Korean woman,Minkyung from Shangrila.
I miss you,Momoe!
you guys are in China, right?

Hpoe you wrap up your owesome jorney with beautiful photoes, hope you happy to the last step to Japan, and see you again online!

-from Taiwan,Minkyung.

To Minkyung

Hi,how's going?
We are still in China but almost finish.
We are looking forward to seeing our family and friends in Japan ,
on the other hand we'd like to continue our journey...hahaha.

Unfortunately
we can't visit Korea and Taiwan this time ,but definitely next time! See you somewhere in the world:)

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