02 March, 11

「Two of Us。」

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実家に戻り、担いでいたBackpackを降ろすと、まさに『肩の荷が下りた。』という気分で、一気に身体中の力が抜けてしまった。それは、単純に荷物の重たさから解放されたということでもあるし、あるいは、旅の最中は常に大なり小なり抱いていた『緊張感』から解放された、ということでもあるだろう。

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部屋の中に放り出された荷物を改めて眺めてみると、いつも表面に被せていた『レインカバー』の汚さがビックリするくらい際立っている。周囲の清潔なモノたちとの対比が、旅の『非日常性』を、図らずも浮き上がらせてしまっているのだ。

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それにしても、こうして久々に日本の、『身体に馴染んだ場所』に戻って来てみて感じるのは、その『暖かさ(温もり)』と同時に、自分たちの周りにいつも『“自分たち以外”の親しい人がいる』ことの不思議さ、というか、何というか…。

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野田知佑著『カヌー犬・ガク』の一節に、こんなのがある。ちなみに『ガク』とは、野田氏がかつて生活を共にしていた犬の名前である。


…ユーコン川下り3年目の時だ。…(途中省略)…それまで50日程、ガクはぼくと2人きりで過ごしていた。下流に入ると川幅はグッと広くなり、ぼくとガクは荒涼とした天地に2人だけで、お互いが唯一の慰めであり楽しみであるという状態だった。
この頃になると、ぼくは人のいる村より川の中の無人の島にテントを張りそこで寝泊まりする方が、気楽でわがままがきき、好きになっていた。何日も人間と会わずガクだけと暮らしていると、人間と犬はいつのまにか対等になっていた。…(途中省略)…そういう時、ぼくはガクの顔を見て、彼の気持ちが良く判ったし、彼にもぼくの気持はよく伝わった…。

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別に『Mが犬だ(もしくはJが)。』と言うわけではないのだけど(笑)、旅をしている時は、2人の間にそういう『2人だけの世界を楽しむ』空気が、確かに流れていたと思うのである。
新しい人々との出会いや別れも旅の面白さの1つだけれど、かけがえのない相棒と過ごす『気楽でわがままのきく』自由な時間もまた、旅人が得られる特権のひとつだろう。
そういう意味じゃ、今は緊張を強いられない安全な場所や人の温もりと引き換えに、そういう『かけがえのない時間』からも、少し遠ざかってしまったのかもしれない。

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ちなみに、野田氏の文章は、その後こんな風に続いていく。


…そこに佐藤がやって来た。ぼくは佐藤との再会を喜び、ひさしぶりに日本語を喋った。ふと気づいてガクの方を見ると、ぼくとガクの関係は対等なものではなく、これまでどおり犬と飼い主との上下関係になっていてガクの気持ちが読めなくなっていた…。

…さて、JとMでは、この場合どちらが『飼い主』になっているのか…。ちょっと気になるところであります(笑)。でも、『気持ち』は今もちゃんと通じていますよ(笑)。

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