「高桐院。」
月光荘のすぐ傍、歩いて10分くらいの距離にある大徳寺。その一角に佇む『高桐院』は、Jの亡くなった父が好きだったお寺だ。以前にも1度だけ2人で訪れたことがあるのだが、久しぶりに日本に帰って来た今の状況の中で「もう一度見てみたいな。」…と思い、今一度その門をくぐった…。
今日の天気は、あいにくの『雨』模様。傘を差しながら狭い路地を行き、ふと出た大通りの向う側に、見覚えのある寺の入口を発見した。大徳寺への表玄関である。
門を抜けた先の境内には中心伽藍の他にも20ヶ寺を超える塔頭寺院が並び、近世の雰囲気を今に残している。細川氏にゆかりのある『高桐院』はそんな塔頭寺院の中でも、一般参詣が認められている数少ない寺院の1つだ。
窓口で入場料400円(1人)を支払い、チケットを貰って院内へと足を踏み入れると、日本的でなじみ深い『静寂』に、2人はいっぺんに包みこまれてしまった。こういう『間』を味わう空間というのは、他の国にはあまりない気がする。中国の寺院建築がいくら日本のそれと似ていても、そこに漂う空気感は、明らかに異なるものである。
でも、どちらの世界に親近感を感じるかというのは、結局、「その人が育ってきた環境で変わる」というだけの話なのかもしれない。そういう意味じゃ、インドの混沌やアフリカのざわめきがどれだけ面白くとも、結局自分たちは「こういう寺的な空間を“良い”と感じる文化に属している人間だなぁ。」と、しみじみ思ってしまうのです。
居れば居るほど、隅々まで行き届いた繊細な美意識とこだわりが手に取るように感じられて、その徹底ぶりが何とも心地よい。庭を見れば、そこから「日本人の、自然の美に対する向き合い方」のようなものが漂い、静かに胸に迫ってくる感じ。
やっぱり、外の世界を見た後にこういう「日本的な美意識」を改めて確認すると、その特徴がより誇張されるようで、前来た時よりも感じるところが色々と多かった様に思う。
帰郷前に京都に寄ったのは『正解』だったかもしれない。
この近所に金閣寺があるらしいから、この後歩いてそっちにも行ってみようと思う。どこも入場料が掛かるってのが、今の2人には少し辛いところですが(笑)。