03 March, 09

「Australia。」

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これから3日間の寝床となるBack Packers Hostelは、Kings Crossという駅周辺の安宿街から少しCity Centerに近づいた辺りの静かな通り沿いにあった。

比較的大きなビルを丸々1軒使っていて、2人の泊るドミトリーRoomはその2階(日本的感覚だと3階)の階段前。8人部屋だが、部屋が比較的広めなことと大きな窓の存在もあり、むさくるしさはあまり感じなかった。
荷物を降ろし、シーツをセットしてしまうと、少し曇りがちなSydney(シドニー)の街を散策するためにそのままの勢いで外へと出かけた。
実際には時差ボケの影響もあってかなり眠たかったのだが、まだ昼過ぎのこの段階で仮眠でもしてしまうと、その時差ボケ自体がなかなか治らないだろうから…。

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雲が多い天気のせいもあるだろうが、通りには意外なほど涼やかな風が吹いており、湿気がないことも相まって、非常に過ごしやすい気候のように感じる。
数日前、アルゼンチンの同じ宿に泊っていたオーストラリア人から、彼女らが国を出てくる前の時点ではメルボルンで45℃を記録してた…とか何とか聞かされていたから、到着前からそれなりの覚悟をしてきていたのに!?
でも、雲の間から太陽が覗くと確かにその日差しの強さは半端じゃなくて、そうなってきたら日陰に隠れないと「これ、肌がヤバい…」などと感じるのでもあった。

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1日目の今日は、もう夕方も近づいてくる時間帯だったこともあって、とりあえず街の中心となるビル群の方へと特に何の気なしに歩いていたのだが、その“中心部”が近づくにつれて、2人にとっては思いもよらない周囲の異変に気が付いたのである。
いや、半端じゃないくらいに、アジア人(日本人・中国人・韓国人)が多いのだ。

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本当に半端じゃない。マップでいうところの中華街的な場所へ自然と向かっていた為でもあるのだが、通り過ぎる人々の7~8割はもう確実にアジア人(特に若者)という感じ。
実際、最近の中国人や韓国人は日本人と姿格好も似通ってしまっているから、そんな人々の行き交う通りを歩いていると、まるでちょっと外国人が多い日本の街、例えば、六本木や麻布・恵比寿なんかを歩いているような錯覚を覚えてしまうほどなのである。
オーストラリアや“シドニーという町”に対して2人は何の知識も入れてきていなかったのだが、まさかこんな状態になっているとは全く予想もしていなかった。
視野を埋め尽くした“アジア的”な景観を前にして、思わず少し引いてしまう2人。こんなにたくさんの人々が、みんな何をしにやってきているのだろうか。
…とはいえ自分たちだってそんな“彼ら”の一員であるわけで、まぁ人の事ばっか言えた義理でもないのである。
因みに今日の昼メシ…というか、夕方メシは、N.Yに続く「海外版吉野家」の第2弾を。アメリカのそれとは違い、ここの牛丼は丼までも日本と全く同じ仕様。味噌汁とお茶がセットになって、7ドルちょっと(今は1ドル≒70円くらいかな)というお値段であった。
やっぱり、どこで食べても牛丼は美味い(笑)。結局この街の“アジア的”というか“日本的”な部分の恩恵にあずかって、新大陸での第1日目をそれなりに楽しんだのでした。

コメント

N夫妻へ
おはがきありがとう!!えぇ、モキュモキュのお話は深く関心を寄せておりましたよ。
出稼ぎ頑張って下さいね。M研究室の皆で乗り込む話も出ましたが、大人なので保留となりました。
なお、個人的なお知らせがあるためメール下さいませんか、よろしく。
Oshisyo&Ma

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