15 January, 11

「Tibet Tashidelek Travel & Tours。」

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AM5:00起床。急いで着替えと荷造りを済ませると、照明のおちた真っ暗な階段を通ってホテルのロビーへと下りる。最初はどこにも人気がないように思えたが、2人が下りるのと同時に、影から現れたボーイの1人が小さな照明を1つだけ点けてくれた。受付で部屋のキーを返し、薄明かりの下のソファーに座ってもう一度荷物を確認する。チベットに向かう朝。いよいよ、この旅で“最後の国”となるかもしれない国「中国」へと突入するのだ…。

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迎えは、予告通りにAM6:00前にやってきた。ホテルの前まで車で来てくれるのかと思っていたが、案内人がバイクに乗ってやってきたのを見ると、どうやら2人は荷物を背負って少し歩くことになるらしい。ゆっくり進んでいくバイクの後ろに続いて、見失わないように急ぎ足で真っ暗闇に包まれた路地を行く。通りには街灯がほとんどないから、目の前の闇の中からいきなり人が現れたりして、気を抜いていると不意に驚かされることになる。


タメルチョークの交差点の辺りまでくると、脇に1台のライトバンが停まっていた。どうやら、チベット自治区へと抜ける国境まではこの車で移動していくことになるようだ。かなり新しいキレイな車で、思わず喜びの笑みがこぼれる。さすがに、1人US$500からの料金を支払ったTourだけのことはあるようだ。

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このミニバンに乗り込んだTour参加者は2人を入れて計6人。事前に聞いていたよりも少ないなぁ…なんて思っていたが、どうやらもう一台ミニバンがいて、国境から先では2チームが合流して1台のバスで行動を共にするということらしい。少しづつ夜が明けてきた国境までの山道の途中、眺めのイイ斜面に建つレストランで朝食をとった。毎日の朝食はTour代金に含まれているから、ここでの出費はナシ。パンと貧弱なオムレツという簡単なメニューだったが、朝からコーヒーが飲めることだけでも「良し」とすべきだろうか。


少し賑やかな村の途中で、不意に車が停車された。「ここからは、歩いてネパール側の国境審査所へ向かいます。その後、さらに10分程歩くと中国側のイミグレーションが見えてくるけど、決してカメラを向けないように。とくに、警察や軍関係の人々は、絶対に写真を撮らないでください。」…急に、雰囲気が変わって来たようだ。そういえば、ここまでの道すがらにこんなことも注意されてたっけ…。「ダライラマに関する書籍や写真などを持っている人は、全てここに置いて行ってください。パソコンの中のデータも確認される場合があるので、それも全て消去すべきですね。フリーチベットの旗とか、持ってる人いないですよね…?」

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…実際の審査はそこまで厳重なものでもなかったけれど、やはりバックの中身はチェックされたし、ガイドブックの類も確認対象になっていた。Lonely Planetなどの旅行ガイドには“ダライラマに関する記述”があったりもするようで、その場合は即刻、その場で回収されることになるらしい。2人の持ち込んだ「地球の歩き方(ネパールで入手)」は無事、通過。チェック終了後にはバッグの中身をキチンと片付けてくれたし、係官の態度はいたって紳士的で、特に横柄だったりすることもなかった。

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国境を通過すると同時に、ガイドもネパール人からチベット人へとバトンタッチ。彼は中国本土の出身者ではなく“チベット民族”であるようで、言葉の端々にチベットという土地に対しての非常に強い“思い入れ”を感じさせる。その分、外国人相手のガイドという仕事にも熱が入っているから、これからの数日間が楽しみな感じである。

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ここからはいよいよTour参加者全員が1台の小型バスに乗り込み、本格的な“Tibet Tour”の開始である。出発早々、最寄りの村に立ち寄り、遅めのランチタイムとなった。ネパール時間でいえば今はまだPM1:00 過ぎだが、チベット時間(中国時間)ではPM4:00を過ぎているらしい。どうやら中国では、北京あたりからこのチベット近辺まで含めて、全国的に統一標準時を使用しているようである。日本との時差は…たったの1時間、か。

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昼飯と夕飯は各自自己負担だから、どこで食べるかも自由行動となる。2人は少し奥の方まで村の中を歩き、1軒の安そうなローカル食堂の暖簾をくぐった。客は誰もいないが、「メシを食いたい。」と身振りで伝えると、何とか了解してくれた。勿論、英語は誰も話せないし、2人の方はチベット語も中国語も話せないのだから、コミュニケーションはかなりぎこちないものとなる。唯一、持ち合わせた簡易的な「中国語会話集」を片手にメニューを選んでいると、1人のオッサンが興味ありげに近づいてきた。

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「○×△○△××○×△!?」…何を言っているのか全く分からないけれど、とりあえず日本人であることを伝えてみようと思い、「ジャパン、ジャポン、…リーヴェン!」と、色んな響きで主張してみたところ、そのオヤジは英語の単語を少しだけ知っていたようで、「オォ、ジャパン!」と奇跡的に理解してくれたのである。

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そこからは、「おれは日本が好きだから、日本語の言葉を教えてほしい。」ということになり(何語でそう言われたのかは覚えてない)、1冊の中国語会話集を手掛かりにして、例えば「“シェイシェイ”は日本語でなんていうんだ?(オッサン)」と訊かれたら、「“アリガトウ”だよ。“ア・リ・ガ・ト・ウ”。」と返す。すると、オッサンはその響きを暗誦し、チベットの文字でノートに書き写すのだ。やたら勉強熱心なオヤジで、そんな事をメシ食ってる間、ひたすら繰り返すこととなったのであった。

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チベット…というか、中国国内でこういう「日本語講座」を求める人々に会うってのは、2人にとっては何だか以外な展開だった。イタリアとかスペインとかインドとかみたいに、中国も「オラの国の言葉を喋れないんだったら、話しなんてしてやんね~もんね。」的な人が多いのかなぁって、勝手に想像していたから。それとも、彼は中国的ではなく、あくまで「チベッタン」だったということだろうか。

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既に時間が遅かった事もあり、昼食後は特に何を見るでもなく、初日の寝床となる宿のある村「○○」まで荒涼とした大地を車でひたすら走り続けることになった。陽が暮れていくのに伴い、気温もぐんぐん下がって来てきているようだ。誤算だったのは、キレイで新しく見えるTourバスに「エアコン」が装備されていないってこと。この、標高3000~5000mの大地を行く冬のチベットTourにおいて、これはかなり重大な誤算である。現に、1日めの今日にして、既に車内は凍える寒さに包まれており、特に足先が千切れるように冷たくて、痛い。

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そんな寒さに打ちひしがれた身体でようやく辿り着いた宿がまた、かなりボロくて、ダイニング的な共用空間に1台の小さな牛糞ストーブ(ヤク牛の糞を燃料に使っている)が置いてある以外には、身体を暖められる場所というか、寒さからの“逃げ場”が他にどこにもないのである。廊下も、トイレも、寝室(4人~6人ドミ)も、全てが氷点下何十℃の世界。バッグを下ろすなり靴下を2重に履き、手袋をはめて食堂へと向かった。何か熱いスープでも飲んで、身体を中から温めたいから…。

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食堂は宿の玄関を出た外側にあり、その僅かの“外出”の間にふと上空を見あげると、パラパラと白いものが舞っているのに気が付いた。雪だ。雪が降って来ているんだ…。どうりで、やたらと冷えるわけだ。辺りには野良イヌがたくさん屯していたが、「喜び庭かけ回る」どころか、路肩で丸まって全く動こうという気配すらない。まぁ、そりゃそうだろう。これは誰にとったって(どの動物にとっても)、あまりにも過酷な環境である。

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犬の真っ黒い毛の上に降り積もる粉雪の白さを眺めながら、ふと明日の事が心配になった。
「雪が降る量によっては、明日はここから動けなくなる可能性もある。今までTourをやって来た経験の中で、最長7日間足止めをくらったって事もあった。…まぁ、今はとにかくこの雪が降りやむことを祈るしかないね。少なくとも、次の町に行けばHot Showerのバス付の個室が待ってるんだ。ここは小さな村だからね。あまりに寂しいし、宿もボロイし、とにかくこれは寒すぎる。」…ガイドの言葉が、食事の間いつまでも頭の中で反響していた。

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