16 January, 11

「チベットのソラ。」

0116%20tibet00.jpg


Tour 2日目。心配していた“雪”は夜の間は降りやんでいたようだったが、朝方になってまた、粉状の白い粒がパラパラと降り始めてしまった。…しかし、道路に積もった雪の量と空模様を確認していたガイドの口から「オッケーだ。今日は移動できそうだよ。」という言葉を聞いて、一同ホッと一安心。なんとか、先に進んで行けそうである。

0116%20tibet01.jpg

最初は、雪の積もった道路を走るバスの挙動にソワソワしながら前方を凝視していた2人だったが、夜が明ける程に雲が晴れていくのをみて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。今日の行程では最高5050mまで標高を上げる事になっていた為、高山部ではさらに雪が深くなっているんじゃ…なんて思ったのだが、そう単純なことでもなかったみたいだ。

0116%20tibet02.jpg

それにしても、チベット2日目にして感じたのは、夜が明けるのがやたらと遅いってこと。今日なんて、AM7:00に朝食をとってAM8:00出発という時間割だったのだが、その時点でも外はまだ完全な暗闇に包まれている。そんな闇の中を走り抜けながらAM9:00を廻った頃になって、ようやく少しづつ空が明るくなってくるといった具合なのである。

0116%20tibet03.jpg

これは勿論、ここが北京や上海あたりと同じ標準時で生活しているが故の現象だと思うが、何か無理がある様な気がする。こんなに朝が暗いんじゃ、目覚めようという気も起きてこない。人間って、陽の光を見ないと身体が起きないという“造り”に元々なってるんじゃないだろうか。とくに、この寒さの中じゃ…。

0116%20tibet04.jpg

でも、2日目の今日になってようやく顔を見せたチベットの青空は、そんな朝方までの憂鬱を一気に吹っ飛ばしてくれるような“鮮やかさ”で、その向こうから登る陽の光の暖かさが冷え切った身体に“いのち”を吹き込んでくれた様な気がした。

0116%20tibet05.jpg

ただ、外がどんなに晴れていてもバスの中の温度はほとんど変わらず、足元が信じられないくらいに冷たくなっているのが分かる。堪らず靴を脱ぎ、足先をケツの下に入れて、手で摩りながら暖をとってみることにした。あまり大きな効果はないが、何もしないよりはマシかもしれない。前の方の席では、寝袋を出してきて足を包んでいる女性もいるようだ。外の寒さは予測していたけど、まさかバスの中がこれ程とは…。

0116%20tibet06.jpg

いくつかの5000m前後のパスを越えて、昼過ぎに通過した村の1つで昼飯休憩をとる事になった。ここはチベット側からのエベレスト登山口に近い場所にあるため、村のあちこちでエベレストを示す「チョモランマ」という文字を見つける事が出来る。食堂の中、勢いよく焚かれたストーブの暖かさがとても嬉しい。2人はそれぞれ、卵チャーハン(J)と野菜入り麺(M)を注文。1皿15元(≒200円)なり。

0116%20tibet07.jpg

そういえば、この『元』という通貨単位だが、2人はてっきり「ゲン」と読むものとばかり思っていたのだけれど、実際には「イェン」と発音している事に気付き、ふと注意して見てみると、商店の品物に付いた値札にも『¥12』なんて表記を見つけたりするのであった。そうか、『元』は「エン」であり「¥」で、つまりは日本と同じだったんだ…。

0116%20tibet08.jpg

ここまで、いくつかの村々をバスで通過してきたわけだが、どの村の商店街にも目立つのはまず『漢字表記』で、時にはその横に『チベット文字での表記』を見つける事もできるが、『チベット文字のみ』という看板はほとんどない様に感じられた。Tourガイドのテンジン曰く、「いまでは、どんな片田舎の村にいっても、大体『10(中国人)対1(チベット人)』の割合で中国人が生活しているよ。」という話しだから、それを反映しての現状ということなのだろう。

0116%20tibet09.jpg

そんな、“中国化”が進むチベット自治区の現状を、チベット人であるテンジンは勿論あまり良く思っていないようで、そういう気持ちを代弁するように、バスの中でこんなジョークを聞かせてくれた。

0116%20tibet10.jpg

「ある長距離列車に、アメリカ人が1人、日本人が1人、中国人が1人、チベット人が1人乗っていたと想像してほしい。そんな列車での長旅の途中、ある日アメリカ人が1台のカメラを窓から外に捨ててしまった。みんなは不思議そうにそのアメリカ人に訪ねたそうだ。『何であのカメラを捨ててしまったんだい?』」

0116%20tibet11.jpg

「その質問に答えたアメリカ人曰く、『あのカメラはもう古かったし、国に帰れば捨てるほどたくさんあるから。』…さて、その後も列車の旅は続き、1日経った次の日に、今度は日本人が手に巻いていた腕時計を捨ててしまった。皆が再び驚いてたずねる。『あの時計、何で捨ててしまったんだい?』と…。」

0116%20tibet12.jpg

「日本人が答えて曰く、『日本に帰れば、時計は捨てるほどたくさんあるから。』…みなは渋々なっとくし、再び旅は続いて行くことになる。そして、あくる日のこと。みなが集まって話をしていると、チベット人がいきなり中国人を持ちあげて、そのまま窓の外に放り投げてしまったのである。これには皆が驚いてたずねた。『一体、なんであんなことをしたんだい?』と…。」

0116%20tibet13.jpg

「そこで、チベット人は意気揚々と答えたそうだ。『だって、ウチの国には中国人が捨てるほどたくさんいるから。』…(笑)。まぁ、あくまで“ジョーク”だからね。」
みな思わず笑ってしまったけれど、それを口にしているガイドのテンジンやその他のチベット人に降りかかっている現実の厳しさを思うと、そのジョークの根っこにある感情の深刻さに、色々と考えさせられてしまうのである。

0116%20tibet14.jpg

そういえば、このTourが始まってすぐにテンジンから言われた。
「チベット自治区内では、政治的な話は絶対に外でしちゃいけないです。政治の話がしたかったら、このバスの中だけにしておいてください。外には軍や警察がうようよしているし、中には私服のスパイもいます。もし彼らに捕まったら、あなたたちは即刻強制退去になるし、私はこの職を失う事になってしまう。そして、私のボスのTour会社も潰されてしまうでしょう。政治の話は、一切ダメです。わたしのため、そして、あなた方のために…。」

0116%20tibet15.jpg

こうして、チベット人のガイドと共にチベット自治区を巡る旅というのは、やっぱり面白い体験になりつつある。これがもし中国本土から来たガイドさんだったら、教えてくれるチベットの歴史や現状といったことも、全く別の姿かたちをとっていた筈だろう。どちらの言い分にもそれぞれの“理”があるのだろうが…。

0116%20tibet16.jpg

“しおり”に書かれた予定を変更して、今日はより長い距離の移動をすることとなった。辿り着いた『Shigatse(シガツェ)』はチベット自治区第2の規模の町であり、ホテルの設備も、他よりはイイ。参加者みな、この寒さに心底参ってしまっていて、そういう実質的な“利”を追求せずにはいられなかったのである。ただし、予定の宿泊場所からの変更に対して1人20元(≒260円)の追加料金をとられました。その分、確かに部屋はキレイでシャワーも熱々なのは良かったけど…暖房設備は、やっぱりなし。部屋の寒さはほとんど変わらず、重たいわりに暖かくない毛布の中、寒さで眠れぬ夜を過ごしたのでした…。

0116%20tibet17.jpg

コメントを投稿





コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。