11 December, 10

「夜明けと夕暮れ。」

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今日もAM7:00前に起床。窓の外に目をやると、前を流れるガンガーの向う側、ぼやけた空の下の方に、橙色で“まんまる”な美しい朝日が浮かんでいるのが見えていた…。

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寝間着のままでホテルの屋上にあるテラスに上がり、ヒンヤリと肌を差す空気の中で身体を摩りながら、改めてその静かな風景を眺める。昨日よりも太陽が丸く見えるが、その分少し小さくも見える気がする。すでに火葬場からは白い煙が立ち上っていて、だけどそこから流れているハズの“甘い匂い”は風にかき消されてしまうようで、2人のいるこの場所までは少しも届いてきていない。

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水面に浮かぶボートの数が、昨日よりもさらに増えたような気がする。ガード周囲の人出も多くて、朝の町の控えめな活気が、冷たい空気に混じって見える。たった数日前に起きたあの“爆破事件”の苦い記憶は、既に少しずつ町から消えていっているのだろうか…。

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そういえば昨夜、ガートの上で出会ったインド人の若者とテロについて話す機会があった。
「あのテロの犯人は、もう捕まったの?」
「いや、まだだね。誰が何のためにやったのか、全く分かっていないよ。」
「でも、先日は何やら政府の偉い人が視察に来てたみたいだし、国も本気で取り組んでるんだろ。警察がなんとかしてくれるんじゃ…。」
「このインドでは、警察なんか全然あてにならないよ。やつらは結局、金で買収されちゃうんだから。犯人逮捕は実際、かなり難しいんじゃないかな。」
「…そうかぁ。しかし、今回の事件では死人もでているわけだし…。」
「そうだ。これまでに2歳の赤ん坊と、インド人がもう一人、それから、イタリア人観光客が一人の、合計3人が死んだっていう話だ。全く、オレには犯人が何でこんな惨いことをするのか、その心理が全くわからないよ。今までにも、ヴァラナシは何度となくテロの標的にされている。しかし、彼らはテロをやって、知らない人を何人も殺して、それでいったいそいつ自信はどんな利益を得ようっていうんだ!?人々の悲しみが増えるだけじゃないか。ホント、こういうのって、オレには少しも理解できないね…。」

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事件に対する憤りとともに、彼の発したその言葉からは「こういう事には慣れてしまった…。」という、諦めの様な気分も漂っていた気がする。事件に対して。警察に対して。そして、自分たちの住む“世界”に対して。そういう“諦め”が皆の心に潜んでいるからこそ、ああいう事件があった後でも、彼らはあっという間に普段の生活に戻れてしまうのだろう。

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今日の午前中、1人の日本人女性と再会した。彼女とは、ネパールからインドへと国境を越える際に、国境審査所で一緒になっていた。その後行き先が別れてしまったのだが、2週間経った今、同じタイミングでこの町に辿りついていたのだ。今回も少し立ち話をしただけだったが、彼女が先日のテロ際、まさにその“会場”に居合わせていたという話を聞いて、ちょっとびっくりしてしまった。

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宿で知り合った友達を誘って、彼女はその礼拝の儀式を見に行ったらしい。その時、ある瞬間に目の前で何かがピカッと光り、世界が真っ白になってしまったという。いわく、「大げさかもしれないけど、その爆破の光に包まれたとき、『あぁ、世界が終った…』って、そんな風に感じちゃいました…。」

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彼女は幸い何事もなく無事だったようだが、友達はその爆破の飛び石を喰らって脇腹を少し負傷してしまったらしく、その治癒の経過を見守るというカタチで、彼女も予定より長くこの町に滞在していたのだ。そんな最中に果たした偶然の“再会”。束の間だったけれど、互いに今後の旅路の安全を祈りつつ、ここからは再び別々の道を行くこととなった。

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今思うのは、どこにいたら危険とか、どこにいれば安全とか、そういうことじゃ全然なくて…何ていうか、「自分たちは助かったんだ。」っていう、その事を深く、確かに実感したような気がする。そして、人はみんな、どこで何をやっていても、そういう状況と常に隣り合せで生きているんだな…って事も。

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午後はヴァラナシ大学の構内でのんびりとした時間を過ごし、夕方、ガンガーの少し上流側に架かる「浮き橋」を見る為、サイクルリクシャ(自転車で引っ張るリクシャ)で河側の畦道へと移動した。ただ、このリクシャの漕ぎ手がえらく歳とった爺さんだったから、少し上り坂や砂利道になるとどうにも“可哀そう”に思えてしょうがない。だって、見るからに息絶え絶えで苦しそうなんだもん…。

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そういうの見ちゃうと、乗る前に必死に交渉して料金を安くしたくせに、最後には「チップ少しあげよっか…。」みたいな事になってしまうのである。だったら最初からオートリクシャ(トゥクトゥク)を選んだ方がいいのかもしれない。じゃなきゃ、若手のリクシャか。
因みに、「浮き橋」は非常に荒々しい造りで、狭いくせに車やリクシャやチャリや人の交通量もやたらと多く、10mほど軽く歩いただけで、すぐに岸へと引き返してしまった。
でもそこから見えたガンガーの夕暮れは、とても素敵な風景でした。釣りをする若者たちや、岸を散歩する人々の姿が、やわらかな朱色に染まっている。

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周囲に建っていたバラックやテントは、『ハリジャン(ガンジーが、カースト制度における“不可触民”のことをこう呼んだ。“神の子”の意。)』たちの住居だろうか。よくTVなどでみる“難民キャンプ”のような雰囲気。居住環境としては劣悪なハズだが、そこにいる子供たちの遊んでいる姿や顔がとても明るいことに、ちょっと救われたような気がした。…救われたのは、“見てる自分たちの心が…”って話だけど…。夕陽はますます傾いていき、そんな中、彼らの姿もみなと同じように“やわらかな朱色”に染められていく。
明日で、ヴァラナシは終わり。夜には寝台列車に乗ってAgra(アグラー)に向かいます。

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